見出し画像

女性差別と解釈労働 / デヴィッド・グレーバー著 「官僚制のユートピア」より

「解釈労働」とは行動を起こす際、相手の考えに思いを巡らせることである。互いに「解釈労働」が行われる環境ではコミュニケーションが円滑に行われて良好な人間関係を築くことができる。しかし、「解釈労働」がなされない場合、真逆の結果をもたらす。
 オリンピック組織委員会会長の森喜朗氏が女性に対して差別的な発言をして問題となっているが、おそらく本人は何が問題なのか分かっていないだろう。それは彼が女性に対しての「解釈労働」を行なっていないからに他ならない。「官僚制のユートピア」に男尊女卑が確かに存在することを確信できるエピソードが書かれている。ある高校の授業にて、「もし男性は女性に、女性は男性になることが出来たら何を行いたいか考えて発表する」というものがある。女子生徒は男性になった際に行いたいことを沢山持っている。しかし多くの男子生徒は女性になったらやりたい事を殆ど思いつかない。そんな課題自体が無意味だとう男子生徒も多く見られるという。
 この事は女性は男性に対して「解釈労働」を行なっているが、男性は女性に対して「解釈労働」を行なっていない事を証明している。
 右派的支配構造を推し進める自民党にとって家父長制は女性を沈黙させる簡単なツールとして存在する。それは男性が「解釈労働」を放棄をする事を意味し、モラハラといった暴力へと繋がっていく。森喜朗氏が多様性や平等を掲げるオリンピックに関わるモラルを持ち合わせていないことは明らかであり会長の器ではない。
「解釈労働」はヒエラルキーの下から上へは行われるが、上から下へは行われづらい。この事を意識して生活する事で、差別の本質的な問題を捕まえやすくなると考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?