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家族は対人関係の最難関

こんにちは。私は幼少期にADHDと診断され、小学校3年生から登校拒否、不登校歴2年とその後も通学は不定期。その間に抜毛症や鬱病を発症。その後摂食障害を発症、5年目にして回復に至ります。そんな私の経験談や考え方などをSNS X @mgmgpai /Ameba blog @konpaichan にてシェアする活動をしています。

家族」この大きなテーマを取り上げるのに何度も下書きに閉まっては出しての繰り返しをして今日に至ります。

家族という存在は自分の人生やメンタルに大きな影響を及ぼすものとして語るに欠かせないものだと、改めて思いまして今回は「家族」について私の経験談から考えをこのnoteでシェアできたらと思います。


0. 前置き

私は父母と私の3人家族です。母の持病で「妊娠できない」と宣告された中で何年もの歳月をかけて不妊治療の末にできた私という子供。愛されて育ってきました。

私の友人にはお父さんやお母さんがいないor離婚した という環境の子も沢山います。愛を注がれなかった、受け取れなかった環境に育った子もいます。

家族のカタチや幸せのカタチ、恵まれているという感覚も人によって異なるでしょう。だから、私の家庭環境に対して「恵まれているじゃないか」と思う方もいらっしゃるかと、思います。

ですが、そういった意見を気にかけてしまい自分の家族との事を書き出せずにいました。確かに、ある人からすれば恵まれているかもしれない、だけど私は私なりに両親と向き合ってきました。" 私の家族のカタチ "として最後まで読んで頂ければ嬉しいです。



1.私と親

私は私です。親は親です。私が今、子供を授かったら「」という役割を担う訳です。親も、1人の人間として選んだ選択が「」という役目で、私はそこに産まれた「」であり「人間」なのです。

それはある意味、対人関係とも呼べると思います。友人や同僚とは違う、恋人とも違う、「家族」という対人関係は他とは特別なオーラを感じます。

私は小さい頃から、繊細で自我が強い子でした。わがままという捉え方もされますが、私もどうしてもコントロールできない感情や発想が湧いてきて、それは「自然」であって「当たり前」の事でした。それが、性格や個性にも繋がる事です。

よく、怒られたりしました。習い事も長続きせず、勉強も苦手、学校も行きたくない。何をしても私は上手くいかないというレッテルは、自分で貼っていましたし、親の残念な顔や怒る顔を見る度に、自分は「」として情けないものだと感じていました。また、人としても何かを成し遂げられ経験、所謂「成功体験」がない→自信がないと、感じていた幼少期でした。

今でも喧嘩はよくします。昔は口喧嘩から家出するまでの大喧嘩に発展する事はよくありました。

でも、姉妹兄弟がいない私にとって、母は姉のようで父は兄のような存在でもありました。共通の趣味があって休日は遊びに連れて行ってくれた。数えきれない思い出が沢山あります。

私の考える「親」というのは、偉大でもあり未熟であるという両面があると考えています。「未熟」という単語を使うのも偉そうではありますが、私と親の合致した意見です。

親になった事のない私からすれば、1人の人間を育てるとは想像もできない凄すぎる事、ただ親も人間で人生の中で初めての「親」という役割を担う訳で、私が0歳の時に親は親として0歳なのです。私が20歳になったら、親として20歳目。

私は勝手に「親はこうあるべき」という思考でどこか存在を誇張して考えて、期待値を高く持ったり、絶対的信頼を感じていたからこそ「裏切られた」「嘘をつかれた」「傷付けられた」という感情が湧きやすかったのです。1番は、「信じてもらえていないだろう」という事を思っていました。

親も親として、1人の人間として感情や考えがあるのを理解できなかった年頃では、私が親に対してこのように考える事は難しかったと思うし、それを理解できる子供は中々いないのでは?と思いますが振り返れば今分かる事を、一旦書いています。

私と親の関係性は、皆んなから「羨ましい」と言われる関係性でした。私はだからこそ親に対して「何かしてあげなきゃいけない」とか「信じてもらいたい」という気持ちが強くあったと思います。

それが、私と親のザッとした関係性や私の幼少期の考え方になります。



2.本人の言葉を聞く姿勢

今から書く事は、私と親が関係性を改善していく中で「気をつけよう」と意識した事であり、対人関係の中で最も大切であろう事です。

私は、先程書いたように自分の中だけで「親」は「こうだろう」と考えたり、自分は期待外れで親不孝者なのかもしれないという自信損失のサイクルにハマっていました。

ある意味、親に対して問いかけてもいない事に自分で正解を出していたとも言えます。

「お母さん、お父さんはどう思っているの?」と、聞くこともしなければ、自分が悩んでいる事に対して「膜」を纏ったように、本当の自分を晒け出す前(本音 自我) に「強い子」を演じてしまっていた自覚もあります。良い子であるべきだと、思う子達には共感してもらえるかな?と思います。

人間は「テレパシー」は持って備わっていない。だけど「言葉」は使える。

私は、私で本音を言葉にしてこなかった。親は親で、言葉に人としての感情より親としての立場から言葉を選択して、私と親のコミニュケーションが成り立ってしまっていたのがすれ違いの原因だと分かりました。

様々な精神疾患を発症して、摂食障害という「死」に近い経験をした時に初めてお互いに「危機感」を命で感じました。

そこでようやく、私は私の本音を、両親は両親の本音を、お互いに話す機会を作ってコミニュケーションを取れました。

初めて知る、親ではなく1人の人間としての言葉。そこには私が勝手に勘違いをしていた「ダメな子」ではなく、親にとって私は「宝物」だった事を初めて知りました。愛されて育った自覚はあっても、言葉にされて初めて自覚を持てた気がします。

摂食障害を回復するに、そうした親とのコミュニケーションがあったからこそ自分の葛藤を共有できたり、会話や本人の言葉を聞く姿勢を持つ事で、勘違いやすれ違いを起こさないよう心掛けられたと感じています。


ただ、今でも日常生活の中で親に対してイラッとしてしまう事や強く当たってしまう事があります。どれだけ親という1人の人間を知っていたとしても、自分の「好き嫌い」や「合う合わない」のセンサーはあまり変わらないものです。

自分を制御して他人と合わせる「外面」としては、友人など他の対人関係では簡単にできる事。なのに、それが家族の前になると自分が先に出てしまう、「自我」であり「本音」が家族の前だと、パッと出てきてしまう。

要するに、信頼しているからなのか?甘えているのか?自分らしくいられているという事なのか?

今だに、そうした自分の突拍子もない苛立ちや大きな疑問を抱く事に悩まされます。なので、口喧嘩とまではいかなくても話し合いは沢山しますし、上手く会話ができない程、感情で語ってしまう事もしばしばあります。

ただ、何も本音で語らないより、何も相手の言葉を聞かない姿勢よりは「マシ」だと考えています。どれだけ、喧嘩しても言葉を聞く姿勢が、あるかないか?で、大きく変わった関係性は確かです。



3.よくある質問やお悩み

親御さんからの言葉「自分は、自分の子が何を思ってどう考えているのか分かってあげられないんです。だから、何が我が子にとって最善の選択か、分からないです。」

摂食障害をサポートする親御さんが、よく仰られる「我が子に対しての接し方のベストが分からない」という事。不登校の親御さんも、どうしたら「学校に行けるようになるか?」と悩んでいらっしゃいます。

これも、これまで書いてきた事に当てはめて私は私なりの考え方を述べさせてもらっています。

親も子も家族ではあるけど、一人一人違う人間。そして摂食障害という病気と対面するのも、当事者も家族も「初めて」の出来事であります。ご自身が不登校児の経験があれば話は変わりますが、学校に難なく通えた経験があれば学校に行けない理由を本人の立場になって考える事は難しい事です。それは当たり前だと思います。

「分からなくて当然」というのが私の答え。その答えを「子と一緒に模索する」それが、当事者(子)の正解になると考えています。

当事者だった私の経験談にはなりますが、私も「摂取障害」をはじめ、Qなぜ学校に行きなくないのか?Qなぜ、習い事が長続きしないのか?などの疑問は、1番自分が「理解できない」事でした。

特定の嫌な原因があれば、親にも話しやすかったかもしれませんし、自分が自分自身に対しての理解は得られたと思うのですが...。Qどうして欲しい? Q何が辛いの?優しい問いかけも私が私を理解できていないから、答えることができませんでした。

単純に言わないor言える(隠す隠さない)ではなく、分かるor分からない事もある、という事です。

その正解を一緒に模索していく、それぞれの選択に寄り添う事が私の考えです。

私が登校拒否をした時も、最初は「学校に通えること」をゴールとして向き合っていた両親。けれど、理由はともかく今は家にいたい事を尊重してくれました。(喧嘩の繰り返しの折り合いとしてですが)

摂食障害も告白して、精神科をたらい回しに通院したり投薬したり、話し合いも沢山したけれど当時の私を痩せから解放するには自分の意思が回復に向いていない事、つまり治る為にできる事は、当事者以外に決定的な理由を作る事ができない。

親も摂食障害という病気を学びながら私への接し方はどんな参考書にも載っていない、私にしかないアンサーを模索していた日々でした。「どうしたらいいんだろう?」は消えなかったと思うのです。

ただ、その「どうしてあげたらいいのかな?」という気持ちこそが愛。心配してくれる事も気にかけてくれる事も、愛として汲み取っていたのは事実です。

何もしてあげられなくても、気にかけてあげている気持ちがあるだけでいいんです。だから、「そのままでいてください」と私は言いたいです。



当事者からの言葉「親は理解してくれないし、親の言動に自分の意思が左右されてしまいます。」

親の発言、行動に敏感になって自分の気持ちが揺らぐ当事者の方が多いと見受けられます。私もその1人だったのでよく分かります。

親の顔色を伺う事や、今どう思われているのかな?と疑問に思うのは自然な感情だと思います。

自分勝手にも自己表現できる人であれば、まず気にならない事ですが「誰かを通した自分の姿」を気にかけてしまう性格であったりするから、1番近くにいる家族に対しても、自分がどう映るか?を気にしてしまうんだと思います。

私は一つ考え方を習得して生きやすくなった、と感じるのは「家族こそ、気を使わなくてもいい。本音でぶつかっていいんだ。」と「割り切る事」でした。

家庭以外の場所。学校や職場や習い事で、沢山気を遣って沢山我慢して沢山の事を感じ取っている繊細さんなんです。

どこか、気を緩めて過ごせる場所が必要なんです。本音で語れる自由を知るべきなのです。

親はそれを受け取ってくれないという気持ちは、本当は自分が言えないと思っていたり、恥ずかしさや情けなさや、どう思われるか?が気になって「言えない環境」にしているだけだったりするんです。また、本当に親が向き合ってくれていない場合は、だからこそ「言葉にして説明する」機会が必要だと感じます。

そして、親以外に頼れる存在を子である我々は見つけていく必要があるとも感じます。

今、家庭以外で良い子を演じてしまう仮定で書きましたが逆のシチュエーションの子もいると思います。家では、本音も素性も晒け出せない代わりに、他の居場所で自分は楽しい。家より楽でいられる。という子。

それも、それでいいんでは?と思うのです。冒頭にも書いた通り皆んなが皆んな「家族はあたたかい場所」ではありません。

イロイロな形の幸せやライフスタイルがあります。周りの家庭環境が良く見えて羨ましく感じてしまうかもしれません、自分の家庭環境や親子の関係が、他人より悪く感じるかもしれません。そういう気持ちを抱えている人も沢山いるんだよ、と伝えたいです。

家族だから、といって仲良くしなきゃならない。本音で話さなきゃならない。そんな決まりはありません。

親にサポートしてもらえないのなら、他の場所を見つけていく事。

家庭環境に恵まれた、自分が行動しなくても誰かに寄り添ってもらえる環境の子と比較して「自分は大きな損をしている」と怒りたくなる、不満になる気持ちも分かります。ただ、そう感じて何も行動に移さなければ、現状も家族も自分も変わらないのが事実。

自分の親は選べなかった、ただ自分の "これから" はいくらでも自分で選ぶ事ができます。

損得を他人に委ねるより、自分で作っていく方が楽なのかもしれないよって、私は考えています。



4.最後に

一旦、区切りとしてここまでにしようと思います。もっと家族のヒストリーを書き出せば長くなりますし、伝えたい事は沢山ありますが、私と親の関係性の変化や考え方からよくある質問やお悩みについて、シェアさせてもらいました。

これまで、あまり書いてこなかった家族問題について初めてしっかり書いたので至らない点がありましたら申し訳ございません。また、私より大変な思いをしている方が、どう感じるかも分からないまま書き進めていて、不安な心境です。

私は、Xで質問やお悩みを送れる場所を設けているので家族についての事なども、いつでも送ってください。

今日は、以上とさせて頂きます。最後まで読んで下さりありがとうございました。

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