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私と希死念慮。

私は、人生に対してのやる気が基本的にない。
瞬間的にスイッチが入る時はある。
物事の調子がいい時や、誰かに恋をした時だ。
そういったドーパミンが勝手にドバドバ流れる時は唯一。生活に対してのやる気が出る。

しかし、心の根底にあるのは希死念慮と他者への復讐心だ。
希死念慮はグラデーションになっていて、時に白に近いグレーになったり真っ黒な時もある、真っ黒な時はあるがそれでもかすかな光はあり、光が途絶えたことはない。

人が夢や希望を持ったり、そんな大それたものではなくても小さな目標、大きな目標、もっと小さいものなら今日のテレビが楽しみ、昨日買ったケーキを食べるのが楽しみ。などは希死念慮を遠ざけるためにあるとおもっている。

最近、夢を失った。希望の光も小さくなった、
新たな夢や希望を探せばいいし、きっと見つかると信じているが現在は真っ暗なトンネルにいる。

そうした時に希死念慮はやってくる。
身内を自死で亡くしたことがあるので希死念慮はファンタジーではなく割とリアルな話だ。
私の中で希死念慮とは空腹の際の食欲と同じである。夢や希望や楽しみでお腹をいっぱいにしないと表れてしまう。

人生で何度来たか分からない希死念慮。
しかし、病まない雨はないという言葉があるように光は必ずまた表れる。
だれかは私の光であり、私はだれかの光である。
希死念慮としっかり手を繋いで、生きていく。

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