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鎖に縛られない選択

 自分と向き合えない大人女性に会った。母親で、傷ついた過去を持っている。逃げが身につき、嘘が日常に棲みついていて、手助けができない状態だった。

 自分と向き合えなかったらいやされない。
例えば、ポリープが腸内にできて体に不調が出たら、検査に行って、必要ならそれを切り取ってもらうだろう。でも、怖くて放置していたら、どうなる? ポリープは増殖していく。

 


 べつのとき、ある若い人の話しで「ええ?!うそでしょう・・」と絶句したことがある。
 親しい人からコントロールされ、きつい言葉を浴びせられ、さげすまれているのに、「非常に不健全な状態である」とは気づかないで、「自分さえ我慢していたら、いずれこの嵐は去るから」・・と、おそらくは幼児決心(幼い頃から習得したルール)で生きていた。
 できるなら抱きしめて、背中をボンボン叩いて、ちょっと、目覚めようよ。そんなまま生き続けるのやめようよ。不健全だって気づくだけで。また生き直せるよ!と言ってあげたい。

 
 こう考えると、生まれてからずっと、養育者にほんとうに愛され、受容され、肯定されてきた人の数って、統計を取ったら少数派になるのかもしれない。統計の取りようがないのでデータはないけれど、いろんな相談を何年も何年も聞いたり、あるいは今回みたいに目の前で繰り広げられるのを観察していたら、癒しが必要な人は、ちまたにごろごろいる。

 
 それと、思うのは、養育者からは愛され受容されてきたけど、ただ非常に個性的であるという理由で、学校の教師や友人から受け入れられず、結果的になんらかの拒絶や痛手を受けた人がいる。胸が痛い。癒しが必要。
 ここで唯一救いなのは、”養育者が愛し受容してくれた”という基本的な点。これは重要。これさえあれば、あとは自分で引き出し整理をすればいい。


”ああ、あのとき間違っていたのは教師だったんだな・・”とか、
”あんな意地悪をした友人はいったいどんな弱さを抱えていたんだろう? 結局はある意味でかわいそうな存在だったんだな・・”って。

  そうやってきちんと引き出し整理して、「ゆるす」という選択を積極的にすれば、ぐんぐん癒されていく。

 癒されると強くなる。カラ元気ではなく、シンが強くなって、しなやかなバネのようになれる。

 しなやかなバネの心を持つ人は、過酷な中に放り込まれて、雨風にブンブン揺らされても折れないで、かえって心の筋力が増していく。
 
 しなやかになれるということは、前提が「謙虚である」ということ。
 謙虚な心は、人をゆるせる。ゆるしたら、自分の両手首と体を縛っていた『ゆるさない!という名前の鎖』から、文字通り自由になる。


 自由になって立ち上がったとき、どんなにその人は喜びに満ちて、強いだろう。

 強くなれる。そして、人生、いろんなことがあるけれど、幸せをつかめるよ。