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夜は自己嫌悪で忙しい

「こうあるべきを減らしたい」最近常々思うようになった。

理性では「こうするべきだ」と分かっている自分と「こうしたい!」という感情のコントロールが難しくなってきた。

そもそもコントロールすべきではないのかもしれないし、わがままと言われればそれで終わりかもしれない。自分が感じている理想とするものと、現実とのズレを上手く消化することが出来ない。それによって深く落ち込んでしまったり、自己嫌悪で傷付いてしまう。勝手に期待して勝手に裏切られたと感じ、傷付いてしまうのだから、相手にとっても迷惑な話である。

我慢して我慢して、その上で周囲の人に八つ当たりしそうになったり、心配させることで相手をコントロールしようとする自分に気付いてしまうと、とても浅はかで余計惨めになってしまう。

人が傷付く時があるとしたら、それは傷付く事を回避し損ねた時だと思う。相手を信用してしまい、自分の身を相手に委ねてしまう。その判断が間違っていると感じた時に人は傷付くのではないかと思う。

年齢を重ねることである程度のことに対して、傷付かなくなると思っていた自分がいた。しかし、実際は違った。実は過去に酷く傷付いた時、傷付かない術を知らず知らずのうちに身に付けてしまっているからだった。それを故意か無意識か知らずに回避をしていただんだと思う。実際、知らないものにぶち当たった時、繰り返し傷付き、こんなにも成長していないものかと痛感させられる。

そうした自分を隠しているうちに、不安や寂しさは怒りに変わってくる。ここまでくるともう手をつけられないなと思った。

こんなこと言ったら嫌われるのではないか、こんなに小さなやつだったのか。そう思われても伝えたい言葉もある。ただ、伝える勇気も度量ない。

本当は、相手が自分を認めてくれるかどうかなんて気にする必要なんてないのかもしれない。「そんなことで悩んでるの?」「そんなのやめればいいじゃんw」「時間の無駄だしもっとすべきことあるよ」分かっている、分かってはいるんだよ。でもやめられないんだ。

「本当はこうするべき」と冷静に考えられる自分と「こうしたい!」と怒鳴り散らしてくる自分が同居している。


いつかこの悩みも、経験として将来の糧になることを切に願って。反省文、提出します。

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