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沈没日本の教育

この国の教育は本気で分断しちゃってて、

若者の自己肯定感の低さはどの層にも共通してるよな、と痛感した日。

本日はフリースクールの方で授業をしたのですが、

勉強なんて大嫌い、自己肯定感低い、大人を信用してないヤンキー集団を前に、授業してめちゃ体力使いました。

女の子、ケバいしケツ見えとる、胸はだけまくりだし、休み時間学生が殴り合ってるし。キラキラネームだらけだし。

漢字とか見たら発狂するし、「羅生門」も読めない学生たち。

共通の言語コードがない。あるとすれば、食べ物の話だけ!!

私は日本の関西の会場にいながら、海外旅行をしてきました!!

こいつら、この後どこで何して遊ぶのかな?乱交パーティとかすんのかな?てめーら軽はずみにやりまくって子供作るなよ、とか本気で心配しました!!

昔の私なら即鬱病になる所ですが、今回は日本社会の闇を感じて、

同時に、今働いてる進学校との共通点も見てしまった気がします。

10代って、自己肯定感低い子が多い!!

錯覚か分かりませんけど、10代ってこんな自己肯定感低かったっけと思います。

今日教えた子たちは、自分で考える力もないけど、社会の中で承認されてない不安とかは動物の本能で感じてるようでした。

進学校で教えるときは「いい大学行くために勉強出来ないとダメ」っていうこっちにとって都合いい共同幻想があって、脆い自己肯定感がそこで一時的に満たされる可能性はあるでしょうけど。

今日の子たちはどうやって自己肯定感を高めていくのだろうか?

でも、だからと言って、政治家がやるような「日本はすごいぞ」とか「絆」、「誇り」とか薄っぺらい言葉を使って、ナショナリズムを高揚させるような愚かな事は騙し以外の何者でもないから絶対だめ。

授業中に、話聞かずに漫画描いてた子がいて、「上手いね」って褒めてあげて、自分も描いてるって話したら、心開いてくれたけど、

きっと彼らにはご褒美とか要らなくて、自己肯定感を高めてあげる事が必要なんだろうな、と思うのです。長い時間対話して向き合って、存在を肯定してあげるような何かが、そういう場が社会に必要なんだと思います。

騒ぐのをやめて難しい内容になると寝ちゃう子たち、

知性の世界に足を踏み込むための階段さえない彼、彼女たち。

大袈裟に思われるかも知れませんが、初めて少年犯罪の世界とか興味が湧きました。

子どもの世界で親の階層による分断化は確実に起こっていて、

分断化された社会の中で、きっとお互い接点がないまま一生終えることも多いというか、

その傾向はこの社会で顕著になるだろうな、と感じます。

分断されて、価値観の異なる人間同士の価値の擦り合わせこそが「対話」なんでしょうが、分断化された社会の中では、対話の機会すらも無くなっていくんだろうな、とも思います。

そこに接点を持たせる仕事は一体誰がやるんだろう?

何よりも、今の10代に共通しているのは、

自己肯定感の低さなんですよね。

そこを大人が何とかしないと日本の社会は深刻な状況になるんだろうな、とも思います。

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