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「美味しい」ワインってなに…?

こんにちは、広報担当のCです。

初回早々、思い切ったお話!皆さま、「美味しい」ワインって、何だと思いますか?

例えば「軽い赤が好き」とか「樽がきいた白が好き」とか好みはあるとは思うのですが、自分の好みではなくとも、誰が飲んでも「美味しい」ワインは確実に存在していると思っています。

むしろこれを考えることで、MARO Winesがどういうワイン造りをしているのかが見えてくるのではと思うので、お話しさせて下さい。

MARO Winesが定義する「美味しい」ワイン

先に、MARO Winesが考える「美味しい」ワインの定義をご紹介します。

  1. オフフレーバーや欠陥がないこと

  2. ブドウ品種の特性がワインとして香りや味わいに表現されていること

  3. 造り手の意図とワインに一貫性があること

これらは私が麿と関わる中で、MARO Winesとして定義づけた「美味しいワイン」の条件です。(もちろん原料であるブドウは大切という前提です)

これは「ナチュール」や「自然派」とかそうしたジャンル関係なく、全てのスタイルのワインに共通する”美味しい”の基本と考えています。※あくまでMARO Wines的見解

ちなみに「テロワール」「個性」は、この3つが出来て初めて表現できる∔αのものかなと思います。

「美味しい」ワインを造るために必要なもの

それでは先に定義した「美味しい」を実現するには何が必要だと思いますか?

私がワイン造りの現場を間近で見ていて思うのは、これらを可能にするのは造り手の「知識」「経験」以外の何物でもないと思っています。

「良いブドウ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どんなに良質なブドウがあっても、それが美味しくなるかどうかは造り手次第です。良いブドウを突き詰めることは大切ですが、日本では逆に「醸造」がないがしろにされている側面もあると思うので、ここでは敢えて醸造に焦点を当ててお話をさせて下さい。

日本でワインにフォーカスした様々な媒体を見ていると、良くも悪くも造り手の「哲学」がフィーチャーされがちな気がしますが、いざ期待して飲むと「うーん」と思わざるを得ない時があります。

明らかに「オフフレーバー」があったり、ブドウの未熟さがそのままワインにマイナスとして表れていたり…

最近飲んでびっくりしたのは、ピノ・ノワール100%でタンニンばりばり、樽の香りしかしない!と思ったワインです。わざわざ苦労してピノ・ノワールを育てた意味!と思いませんか…?(ピノ・ノワールは香りも味わいもとても繊細な品種なので…)

これは確実に、「造り手」の問題だと思います。

③を少し補足しておくと、造り手が目指すものとブドウのポテンシャルが一致していない時に「ちぐはぐ感」を感じる時があります。

②と少し被るとも思いますが、品種の本来のポテンシャルとワインのスタイルがちぐはぐしていると飲んでいでつらい!

例えばブドウが未熟で樽負けしている時や、タンニンが特徴的な品種でMC(ボジョレーヌーボーみたいな)スタイルの時。何を表現したいのか、分からないです。

これは造り手がブドウや品種を理解していないか、もしくは理解していてもそれを実現する技術がないか、どちらかなのではないかと思います。(辛口…💦)

「美味しい」が当たり前でない日本

MARO Winesにとって「美味しいワインを追求する」というのは傍から見たら「当たり前」と思うかもしれませんが、実はとても大切なことと考えています。
なぜなら、実は、この3つがそのワイナリーの製品 “全てで” 出来ている日本のワイナリーは、意外と多くない気がしているからです。
(どれか一つが美味しいと思っても、その他のワインはそうでないことが多い)

これはなぜかと言うと、日本では「醸造免許」という建物に付与される免許さえあれば、造り手本人の知識や経験がなくてもワインを醸造し販売することができるため、造り手の実力にばらつきがあるためだと思います。

美味しいワインに良質なブドウは必要。ですが、それと同時に造り手の技術が同じくらい大切、ということに気づいている人が造り手も含め意外と少ない気がします。

だからこそMARO Winesはまず、「美味しい」に忠実にあるために、麿本人は常に自分自身の成長を大切にしています。
何をしているかはまた別の機会に…

「美味しい」より「美味しくない」と言う勇気

こんなこと書いている広報担当ですが、ワイン業界に入って2年ちょっと。「何を偉そうに!」と自分でも思いますが(笑)、逆に業界に浸かっていないからこそ見える視点というのもあると信じていますので、「ふ~ん」くらいで見ていただければと思います。

でも、「ブドウは大事」というのは皆さん言うのに「醸造」が大切とは誰も言わないんですよね。哲学ばかり強調されて実質的な部分が見えていないのでは?と思うので、今回思い切ってこのお話をさせていただきました。

また、「美味しい」と感じると同時に「美味しくない」と感じる力も大切だと思っています。どうして美味しくないと思ったのか、他の人はどう感じるのか、なぜ美味しくないのか、そうした疑問から生まれることもあるのではないでしょうか。

ただただ日本ワインが広がっても意味がない。もっと文化的な側面を伴って広がっていくためにも「美味しい」日本ワインが生産される必要があると思います。

ニューヨークステイでの一コマ

ふらっと立ち寄ったパイ専門店。コーヒーとかティーでなく、ビールやワインをメインに置いていました。
この時はロゼと合わせて。
長沼にもパイ屋さんがあるので、ぜひこうしたペアリングもしたいなぁ…。


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