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一児の母、博士号取得後、1年目の試行錯誤 [2022-2023]

1. はじめに ~企業所属のワーママは博士号取得後、どうキャリアを築く?~

 私は社会人大学院生として博士号を取得した、アラフォーのワーキングマザー(子供は小学生)です。

 2022年3月末、無事に博士号を授与された後、学生の肩書きが外れ、再び"専業"会社員の生活が再開しました。
 この記事では、博士号取得後1年目のワーキングマザーが「研究者として生きていくにはどうしたらいいんだろう」と悩み迷いながら行った、1年間の試行錯誤を紹介します。
 社会人大学院生の経験談に比べて、実際に博士号を保有した企業研究者のキャリア形成の話は、企業の機密保持もあり、表に出ることは少ないです。この記事が、研究職を目指す人や、博士号を取得した後のキャリアに悩んでいる人の参考になればと思っています。

私の略歴:理工系の大学院修士課程修了後、技術職として民間企業に就職。産育休を取得し職場復帰。入社から約10年というキャリアで、会社に在籍しながら博士課程に入学。博士課程標準年限(3年)を2年半超えてから審査を受け、博士号(理学)を取得。以後も現職で技術職、研究職として勤務中。

2. 燃え尽きと葛藤の1か月

 2022年2月、博士号審査終了直後の1か月は、緊張感が一気に解け、放心した時期でした。目指すべき目標を失ったように思えた私は、年度末の繁忙期に無理矢理、半日の休みを取り、非日常を感じるカフェで「数年以内にやりたいこと」を書き出し考えました。
 主に考えた道は3つでした。① 仕事や研究時間の比重を減らしてこれまで抑えざるを得なかった「親子の時間」を増やす、② 自分の研究を深めるのではなく、一般の方や子供たちに科学の知見を分かりやすく解説するようなアウトリーチ活動を積極的に行っていく、そして現実逃避的な案ですが、会社からフルタイム学生として大学院に通っている後輩たちを目にして、③ 自分にとって知識の足りない、異なる専門分野の大学院に挑戦する、という考えも頭をよぎっていました。
 迷い悩んだ結果、私は博士号を「あの時頑張ったなぁ」という思い出にはしたくない、どうしても今生きている人生で、自然科学分野で発見をしたいという本心に気付きました。この本心に従い、私が選んだのは4つ目の道、④ 「自分の研究を続け、専門分野を深めていくという厳しい道」です。結果がすぐには出ない地味な解析を続けて、英語と格闘しながら論文を書いて、博士号はスタートラインにしか過ぎず、優秀な若者がどんどんやってくる、厳しい世界に挑戦していきたいんだと思ったのです。

3. 本業、育児の傍ら研究はできるのか? ~環境の把握と、年間目標と年間計画の作成~

 2022年2月の1か月間の迷いを経て、研究を続けるためにはどうすればいいんだろうと五里霧中ながらも、2022年3月頭には大学院修了後1年の目標や過ごし方をざっくりと定めました。私の置かれていた環境と、その時点で立てた目標を書きます。
3-1. 環境
・職場
 私の職場では博士号に対する手当や報奨金はありません。また、博士号を取得したからといって、担当している業務や職種が変わるわけではありませんでした。
 私の研究は、会社と大学との共同研究から派生したもので、現時点では業務から完全に独立したテーマの研究を行っているわけではありません。そのため、大学院修了後も、会社の器材(計算に用いるサーバー等)を私の研究に用いることができました。(研究成果は共同研究を実施している大学や会社に帰属します。)上司からは私の主たる業務(技術職、業務工程管理やシステム保守など)に支障が無ければ自主的な研究もどうぞというスタンスで、社会人大学院生時代と同様、業務時間の1~2割程度を目安に、研究や学会活動を認められる状況です。
 また、私の職場は研究費公募に参加できる「研究機関」の要件を満たしています。研究費の公募に参加し、採択されれば、自分の研究費を僅かでも得ることができます。高額な論文投稿料や英文校正費などを公募でまかなえれば、少しずつ会社の業務から独立した研究テーマを手がける道も見えていきそうです。
・大学
 学費を納める立場ではなくなったので当然ですが、大学院修了後は大学の設備は使用できません。高価な論文や専門書の電子閲覧など、デジタルコンテンツだけでも卒業生として有償利用できるといいのですが、現状仕方ありません。
 しかし、共同研究の兼ね合いもあり、大学院修了後も指導教官には暫定で研究の壁打ち(相談)を定期的にお願いできる関係にありました。さっそく、「博士号を取得した後も研究を続けていきたい」と話したところ、私へのアドバイスは「とにかく手を動かし続けなさい」でした。「1日15分でも解析をして、研究に触れない日をなくそう」と決意しました。
・育児
 やっぱり研究を続けたいという本心に気付いた時に、頭をよぎったのは子供のことです。大学院在学時ほどではなくとも時間をある程度投じる必要があり、子供との時間を潤沢に取れる訳では無いことを覚悟しました。
 とはいえ、子供の運動神経回路が著しく増える"ゴールデンエイジ"と言われる年代(10~12歳を中心とした期間、6歳前後から始まるという文献もある)に入る子供に対して、やってみたいと言っていた運動の習い事は、ぜひさせたいと思っていました。また、子供が小学生のうちに、旅行や非日常の体験を子供と共有したいとも思いました。

3-2. 目標・計画
 現在の気持ちと環境を整理したのち、私は
1 研究費公募に応募(獲得目標:年間研究費100万円)
2 次の研究テーマで学会発表2回
3 投稿論文1本
+α 語学力向上(今後、国際学会で発表したい)
という年間目標を立てました。
・時間
 取れる時間は勤務時間の1割程度+プライベートで朝晩子供就寝中、1日あたり1~3時間程度。月あたり40~50時間程度を目標としました。
・お金
 研究にはお金がかかります。オープンアクセス化が進む中、論文投稿料が数十万かかる雑誌も出てきました。対面での学会発表に向かうための登録料や旅費は10万円程度かかる場合もあります。コロナ禍が落ち着き、増えてきた海外での学会発表も登録料だけで数万円、旅費は燃料高騰と円安のあおりを受け、数十万円以上かかるでしょう。
 いくら会社の事業と多少関係のある研究をしていたとしても、会社に支出してもらえる金額には限りがあることは分かっていました。後ろめたさなく研究活動に励むためにも、会社負担でも自己負担でもない、公募採択という手段で、研究費を獲得したいという気持ちが強くありました

 研究費の公募申請、学会発表2回、論文1本…。研究者としては甘い目標と捉える人もいるかもしれません。しかし、本業会社員と小学生育児から切り離せない私のワーママ生活から絞り出せる資源の中では、これが「精一杯の現実的な目標」でした。

2022年3月に立てた年間計画表(筆者撮影)

 本業会社員、副業研究者として、挑戦の1年が始まります。私は、保有資格として「博士」を名刺やメールの署名に入れました。「博士」として見られるようになる。その期待に応えられるのだろうかと緊張しました。一方で、そう期待される"専門家"として存在し続けられるように、専門性やものの見方を磨き続けることを自分に課す、良いプレッシャーとして活かしていこうと思いました。

4. 四半期毎にふり返る、1年の経過

4-1. 第1四半期(4~6月)
 次のテーマの解析を開始しましたが、難航しました。妥当な結果が出るまで3ヶ月は格闘しました。予稿が間に合わず、秋の学会は1つ見送りとなりました。こんなスローペースで論文は無事に出せるのかと、先の見えないゴールに暗い気持ちになった日もありました。
 この時期、学会で交流があった先生方から声を掛けられ、グループ研究にも関わりました。共著論文に用いる図の見せ方についてやり取りしたり、研究成果を宣伝するアイディアを出しあったりと、地道な裏方的な役割も担いました。
4-2. 第2四半期(7~9月)
 
何とかもう1つの秋学会に登録できるだけの解析結果が出ました。アカデミアに対して小さな進展を示すことが出来ると、安堵と小さな喜びの気持ちが湧きます。
 そして研究費公募の申請準備です。チャレンジする公募は2つ。1つは個人で応募する研究費で、申請書を書きながら、研究の理念を見せる(ゼロから1を産み出す)ことの難しさを痛感しました。もう1つは、本業を通じて会社の一員として関わることになったグループ研究の研究費で、この申請書作りも並行して進んでいました。
 申請に必要だったこともあり、休みの日にコツコツと、研究者のプロフィールをまとめたサイト(ResearchmapやGoogle scholar)も準備しました。(実はこのサイトが、2年目以降の研究者間のつながりに生きることになります)

4-3. 第3四半期(10~12月)
 秋学会の季節、グループ研究の学会発表は広報対応などの裏方を担いました。この時、大学や研究所というアカデミア所属の研究者の方と話をする際にも、私が話す研究のアイディアや意見が、スッと受け止めてもらえるようになった感触がありました。「教え諭す対象の民間企業人」ではなく「博士号を持つ同類の仲間」として扱われるようになった感覚です。
 もう1つ、自分が発表した久しぶりの対面学会では、他機関に貸与してもらったデータをようやく妥当な結果として公表でき、論文の一部分を形にした安堵感を得ました。学会会場では過去にお世話になった研究者の方と対面で近況も報告し合い、研究者としてのネットワークを再構築している感覚になりました。
4-4. 第4四半期(1~3月)
 
研究費の申請書について、採択結果が返ってきました。1回ではなかなか通らないと聞いてはいたのですが、やはり個人の公募は残念な結果に終わりました。一方で、グループでの公募研究は採択されました。公募慣れした方々の申請書類を目にすることで、応募書類を書く戦略について身をもって学びました。
4-5. +α(語学)
 2018年に大学院に入るまで、私は仕事でほぼ英語を使っていませんでした。それが博士課程で過ごすうちに、自分の暮らしていた日本語のみの世界はこんなに狭かったのかと思うようになりました。博士課程修了後も、仕事は引き続き日本語のみでしたが、抗うように「英語に接していたい、語学力を伸ばしたい」と思うようになりました。
 4月に入り、リハビリのようにNHKラジオビジネス英語の視聴を再開しました。解析の合間に、語学のスコアを得るため、TOEICも受験しました。受験対策にアプリ学習(半年で60時間程度)を取り入れてスコアが伸びたことも嬉しかったし、語学の芽も育ってきたと思えました。小学校で英語を学ぶようになった子供が、私よりも柔軟に英会話に親しみ、英検5級に合格したことも、刺激になりました。
4-6. 育児面
 毎週特定の時間を確保しなければいけない、子供の定期的なスポーツの習い事(手始めに週1回、送迎と見守りも含めて夕方から夜の約2時間)をようやく始めることができました。運動会の徒競走の順位が上がったり、ボールを投げる距離が長くなったりという、子供の運動能力の向上を目にすることができ、親として素直に嬉しかったです。
 家族旅行計画も立て、8月には動物好きの子供と和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドへ旅行に行き、象やイルカとのふれあい体験が出来ました。子供自身も、親の学会など用事のための移動ではなく、楽しみのための移動ができたことは嬉しかったようですし、普段は目にしない動物たちを見られたのは思い出に残ったようです。

南紀白浜アドベンチャーワールドでのアフリカゾウへの餌やり体験(2022年8月、筆者撮影)

5. 予想外だった出来事

 博士号取得のために英語論文を出版して以降、私のメールボックスには、著者から掲載料を得るためだけの粗悪な学術誌、いわゆる「ハゲタカジャーナル」から、勧誘メールが月数回は届くようになっていました。
 2022年秋、それらに混じっていた1通のメールに私の目は吸い寄せられました。憧れの雑誌からの査読依頼です!私が、投稿論文の出来を査定するにふさわしい研究者として、格式ある雑誌編集部から選ばれた、ということです。査読対象の論文要約が示され、受けるのか断るのか迅速に回答し、受けるのであれば【3週間以内】に査読結果を返すようにとのことでした。
 ……博士課程で、自分の論文が、ボロクソに英語でReject(掲載拒否)された記憶が蘇りました。複数人査読なので自分だけの意見で決まる訳ではないものの、相手の論文の命運を決める意見を述べることが、重すぎる。本業の傍ら、自分の研究をするだけで必死な私が、3週間で初見の論文を読み、英語の添削結果を返すことは難しい……そう結論を出し、泣く泣く断りました。チャンスがあった時に掴めない、そういった余裕を作れていない、自分の実力の無さがどうしようもなく悔しかったです。
 「いつか来るチャンスを掴むために努力する」―そのチャンスはいつ来るのか、本当に来るのか、誰も教えてくれません。いつチャンスが来るのか分からなくとも、先の道が見えなくても、来たチャンスを掴む余裕を持っていられるよう、先が分からなくともやっていくことが大事だと、改めて思っています。

6. この1年の自己採点は?

 この1年で、学会発表1つ、個人の研究費申請1つ(→×不採択)、グループでの研究費申請1つ(→○採択)、グループでの学会発表・成果報告の裏方を担当しました。論文投稿はかなわず次年度に持ち越しです。自分なりの点数を付けると、65点位(大学の成績で言うと「可」)でしょうか。

 2年目以降も研究費申請に挑戦する予定です。改めて手元に参考書を数冊揃えました。私に足りない部分を埋め、今後こそ私の研究テーマの理念が伝わる書類にしたいと思っています。新しいテーマの解析結果も、1年以内に論文にまとめたいと思っています。
 国際学会発表の機会をうかがいつつ、語学にも引き続き取り組んでいます。

 時間の確保には未だに日々格闘しています。それでも、自然科学の法則に沿った筋道が付いた結果が出るだけで「もしかして発見?」と胸が高鳴り、膨大な投下時間のことを忘れてしまう。この気持ちは現役大学院生の頃と変わっていません。

 2024年春にまたnote記事で報告できるよう、博士号取得後2年目も種蒔き活動を行っています。
 研究職を本業とするまでの日々の格闘はTwitterを中心に発信しています。ぜひTwitterでも応援して頂けたら嬉しいです。
https://twitter.com/marmy_sci/

このnoteでは社会人大学院での研究経験、そして技術職・研究職として働く日々から生まれた、子どもと科学へのまなざしを綴っていきます。 サポート頂いた気持ちは、私の研究やアウトリーチ活動を広めていくための学びに使わせていただきます。