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「楽」という木に
朝、時間もないのに捜し物。押入の奥で目にした箱を取り出した。これは私の「生涯捨てないもの箱」だ。
高校のときの通信簿、給与明細書数枚、独身時代に夫がくれた手紙、などいろいろなものが入っていて、一度開けると蓋を閉めるまでに随分時間のかかる代物だ。
その中に、母からの手紙が数通ある。
寮生活をしていた学生時代、母が送ってくれる荷物の中に入っていたものだ。いつも慌ただしそうに、広告の裏や端紙に書いてある。
「?印の箱の中身は何でしょうか、友達と分けて食べてください。」
「(例のもの)は、まだ見つかりません。もうしばらく待ってください。」
「昨日チコちゃんがお嫁に行きました。朝早く起きて出立ちを見せてもらいました。きれいで涙がでました。」
「秀君のおばちゃんに、吊し柿をもらったので入れます。少しカビが生えていても食べられます。」
「母の日の電報、ビックリしました。ありがとう。お父ちゃんの時にも来るよと言うと、絶対に来ん。と言っていたので出してあげてください。」
「まーちゃんは昨日から試験が始まりました。みんな悪い点だったのでやり直しがあると言っていました。」
「ジュースばかり飲んではいけません。お茶をわかして飲みなさい。小さいやかんを買いなさい。」
「おばあちゃんが手紙を書いてくれました。すぐ返事を書いてあげてください。」
「赤福をおみやげにもらったから入れておきます。」
今なら解る。初めて家から出て生活をしている私のことをどれほど案じていてくれていたか。
?印の箱に何が入っていたのか思い出すことができないし、(例のもの)が何かが分からない。父の日に電報を打った覚えもない。
しんどくて少ししか入れられないと書いてある1万円で、流行の服を買いに行き、母からの荷物を疎ましいとさえ思った自分が恥ずかしくてたまらない。
今頃解ったのでは遅い。父も祖母も他界してしまった。
どうしてあの頃、もっと思いやりを持って家族に接していなかったのか、数え切れないほど送られてきた荷物の礼を一度でも母に言ったことがあったのだろうか。
まだ二人妹がいて、封建的な父と頑固で厳しい姑がいて、母はあの頃が一番しんどかったのではないかと思う。
「その後どうですか?「楽という木に実はならん」とおじいちゃんがよく言っていました。お母ちゃんもしんどいですが、一緒に頑張りましょう。」
どんな泣き言を母に言ったかも覚えてはいないが、この言葉は今の私の身にも滲みる。
気付くと目が真っ赤、出勤時刻も過ぎていた。あわてて化粧を直し、車へ飛び込む。
結局、捜し物は見つからなかったが、よい思いをした。
あの頃のありがとうの代わりに、母には優しくしないといけない。
そして、少々のしんどい思いは、がんばって乗り越えなければならない。
【散在していた書いたものを少しずつnoteにまとめています。】
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