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森 瑤子 2007.09.10


多分、50冊は下らない彼女の文庫本。
ページをめくるとその周囲は黄ばんでいる。
15年は前になるだろう、当時私は彼女の作品に夢中だった。
それまで読んだことのない、呟きのような、あるいは内緒で覗き見た誰かの手紙のような文体の虜だった。
私より一回りほど年上の洗練された女性が経験する、いくつもの上質でいて下品な恋愛物語を読みながら、
「いつか私も年をとったらこんな風に恋をするのだろうか」
などと思っていた。
小説に出てくる「ロシアンセーブルの毛皮」がどれほどの艶で魅せるのか、「ティオペペ」という名のお酒がどんな輝きを放つのか、「オーソバージュ」をうなじに擦り込む女が何を期待しているのか、皆目見当もつかないのにだ。

「めくるめく恋愛」、「成熟した情事」。
経験したことのない世界にしばし酔いしれ、そんな物語を次から次へと書いては本にする「森瑤子」を理想の女性に掲げていた。

主人公達の年齢に追い付いた今の私。
数年ぶりに彼女の作品を読み返して気付いたことがある。
作中の女性らが身もだえしていたのは、若い男から得る快感からではなく、胸の内に澱のように溜まる寂しさに因るものだということ。
派手に振る舞い、着飾り、老いるのを怖れていたのは、多くの女性の羨望の眼差しが欲しい訳ではなく、たったひとり、夫の視界から消えてしまうことだけが耐えられなかったから。
未だに私は、セーブルの毛皮を羽織るどころか見たこともない。もちろん、カサノバに貢いだことも、友人の夫に口説かれたことも、ない。

それでよかったと、心から思える。
「森瑤子」流に言えば…

私は、バスタブに体を沈め、そのぬるま湯にも似た私自身の幸せに乾杯をした。
その安堵に、私は自分の体が、ぐらりと揺れた気がした。

こんな感じだろうか(笑)。 

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