庭とお金
今日は友達との会話を発端にして、感じたことを書いてみたい。
その友達は、オリーブの植え替えをしたいという。しかし自分では少し自信がないので、園芸店に依頼することを考えた。すると『一つの鉢、土代こみで5000円』と言われたそう。
お庭関連のこういった値段設定って、よく聞く。たとえば、『木の剪定、一本◯◯円』みたいな感じ。
その人の庭は、鉢植えの集合体なんだろうか?木の集合体だろうか?合計、5000円×◯本、と計算するものなんだろうか。
確かに物理的には集合体かもしれないが、庭とは時空間で、もちろん庭主やその庭をただ通る人の生活さえをも含む。だから、この『一鉢、◯円』『一本、◯円』の考え方は、とても合理的ではあるが、なんだか違和感を感じてしまう。
植物は生きているし、庭主も生きているし、教科書通りになるものではない。庭主はどういう庭が創りたいか、庭主はどれくらい庭に関わりたいか、この植物は植え替えたがられているのか、剪定されたがっているのか、そういった小さいような大きいようなことを庭主と相談しながら創りあげるのが、本当の庭じゃないのか、、、と。
友人のオリーブの話にもどすと、とにもかくにも私は自分が手伝うことを提案した。友人は、植え替えなどは女性では力がいるから自分でやるのは心配だったようだ。でも、私の経験では鉢から鉢への植え替えは、よっぽど根詰まりしてない限り、力のない人でも困ることはない。そして仮に根詰まりがよっぽどひどくても、鉢を壊したり、根を多少切れば、ほぼなんとかなる。
こういうことを聞いて、安心して自分でしてみようかな、と思いなおす場合もあると思う。もしくは、やっぱり初めてで不安だから慣れた人に手伝ってもらいたいと思う人もいるだろう。この辺りのさじ加減は人それぞれだが、私はこのさじ加減の微調整を含めて、お庭のお仕事ができればと思う。そうすれば『人鉢、◯円』で植え替えを外注した場合では得られなかった、『植え替えって意外に簡単かも』とか、『このサイズまでの鉢なら自分でも大丈夫』とか、『オリーブはこういう土がいいんだな』とか、庭と携わったなんらかの実感になってくると思う。言うなれば、私はお庭の家庭教師になりたい。共にゴールや方法を探りながら、あくまで庭と関係性を探っていく主体は生徒(庭主)というスタンスがいいのではないかと思う。
お庭のお金の設定のしかた、仕事内容を見ていると、細分化・分業化され個々に価格設定され、外注感がすごい。でも、細分化されるほど、庭は庭じゃなくなる気もする。外注感が好きな人は結構だが、自分らしさを少し盛り込みたいとか、素人で自信もないけど作業をしてみたいとか、庭への思いは人によってちがう。そこに寄り添える、お庭の家庭教師になりたいと思う。
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