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卒業式の夜は連れ込み宿で

皆さんは自分の卒業式のことをどれくらい覚えておられるだろうか。
僕は、恥ずかしながらほとんど記憶にない。
小学校の卒業式では、何度も練習をした筈だ。
体育館に集められて、入場から退場、卒業証書をもらうために壇上に上がる時の作法など。
校歌はもちろんのこと、「仰げば尊し」も何度も歌った(当時はまだ教師は仰ぎ見られて尊ばれる存在だった。それに、卒業ソングビジネスもまだ無かった)。
グループごとの掛け合い、「楽しかった修学旅行」「給食のおばさん、用務員のおじさん、ありがとう」そんなやりとりも練習した。
しかし、いざ当日のこととなると、ほとんど記憶にない。
なんとなく女子はみんな泣いていたのをかすかに覚えているくらいだ。
当時は男子で泣くやつはいなかったに違いない。

中学、高校となるとそんな記憶もない。
中学時代はそれなりに充実していて、いろんなことが思い出されるのに、卒業式の記憶だけはすっぽりと抜け落ちている。
高校の時には、終了後、三々五々、最後はいつもと同じように「バイ」と片手をあげて別れた記憶だけがある。
その相手が誰だったのかは思い出せない。

もしかすると、別れの寂しさよりも、次の進路への希望の方が大きかったのだろうか。

ところが、大学の卒業式となると忘れられないことがある。
式は武道館で行われたが、もちろん、式の内容は記憶にない。
確か、3月も後半で、その翌々日には入社に先立っての宿泊研修が始まる、そんな日程だった。
当時は、もう東京の下宿を引き払い実家に戻っていたので、卒業式のためにあらためて上京した。
家を出る時に母は、
「卒業式はちゃんと出るんやで」
実は、入学式の日には両親も出席するために上京してきたのだが、僕はすっぽかしてしまい、両親だけの入学式になったことがあった。
今回は両親は出席しないが、それだけに心配だったのだろう。
もちろん、ちゃんと出席した。

式の後は、いっしょに卒業した後輩たちと当然のように飲みに行く。
僕は、訳あって一年留年しているので、後輩と並んで卒業することになったのだ。
泊まって行きますかと言ってくれる後輩もいたが、翌々日からの研修の準備もあるので、その日の間に帰るつもりだった。
ほろ酔いくらいで新幹線に乗るつもりだったのだが、飲み出すと止まらない。
気がつくと、もう新幹線は間に合わない。
仕方なく、在来線最終の大垣行きで帰ることにした。
これに乗って大垣で乗り換えると、翌朝には京都に着く。
在学中も何度か利用したことがある。
いつも、サラリーマンや旅行客で混み合っていた。

この日も、混み合っており、座席は満席だった。
途中で空くだろうと、デッキ部分に立つ。
しかし、だんだん気分が悪くなってきた。
しゃがんだり立ったりして誤魔化してきたが、もう限界が。
吐きそう。
ちょうど列車が駅で停車した。
僕は、トイレに駆け込み、思いっきり、吐いた。
スッキリしてホームに戻ってくると、列車が、
「ない」
振り向くと、「静岡」の文字。

とりあえず、自宅に電話をして、今日は帰れない旨を伝える。
受話器をおくと、最終が出た後の人気のないホーム。
ここで夜を明かすにはまだ肌寒い季節。
駅を出て、タクシー乗り場に行く。

「近くのビジネスホテルまでお願いします。どこでもいいです」
「お兄ちゃん、予約はとってあるの?」
「いいえ」
「今日はどこもいっぱいだよ。さっきも同じような客を乗せたけどね」
「そうですか」
「そうだ、泊まれればどこでもいいよね」
「ええ」
「ちょっと待ってて」

運転手さんは、電話ボックスに入ってどこやらに電話をしている。
戻ってきて、
「じゃあ、行くよ」
どこをどう走ったのか、タクシーは薄暗い道に入っていく。
やがて、一軒の和風の建物の前に泊まった。
門の前の小さな軒灯には「旅館」の文字が。
「ちょっと待ってて」
運転手さんは、中に入って行き、すぐに戻ってきた。
「じゃあ、ここに泊まれるから」
「おいくらですか」
「いいよ、困った時にはお互い様だよ」
なんと親切なお方だろう。

薄喰い庭を抜けて中に入ると、こじんまりした旅館のような雰囲気。
小さなカウンターの向こうにおばさんが座っている。
部屋の場所を教えられて、鍵を受け取る。

部屋に入ると、まずは風呂に入った。
さっぱりして浴衣に着替える。
そうだ、布団。
受付に行って、
「布団、お願いします」
「ああ、部屋の奥にベッドがあるから」

部屋戻って奥にあるカーテンを開けると、確かにベッドがあった。
細長いスペースにベッドだけがすっぽりおさまっている。
旅館にベッドか。
横にあるスイッチを入れると、なんと、その狭いベッドルームがピンク色に染まった。

こんな感じ

僕は瞬時に理解した。
これが、あの連れ込み宿、連れ込み旅館か。

若い人には説明が必要かもしれないが、要するにラブホテル、ファッションホテルの旅館バージョン。
名前の由来は、女性を無理やりにでも連れ込んで既成事実を作って仕舞えば男の勝ち、そんなところから来ているのだろう。
女性が声を上げられない時代の悪しき名残りだ。

ともあれ、卒業式の夜、僕は、初めての連れ込み宿で、ひとり、ピンクの明かりに染まって眠るのだった。

翌朝、事情を聞いたおばさんは、
「酒で失敗するよりも、同じ失敗やったらこっちの方がいいよ」
と言って小指を立てた。
そして、
「頑張って」
と送り出してくれた。

今にして思えば、あのタクシーの運転手さんは、旅館からいくらかリベートをもらっていたに違いない。
だから、タクシー代を取らなかったのだ。
それでも、二重に取らなかったところは、良心だと思いたい。
あまり役に立たないアドバイスを、新社会人にしてくれたおばさんも。

僕は無事に自宅に戻り、翌日、研修に出発した。

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