『東京23区最後の日』1
1 東京じゃないから
ナオコは毎日トオルとのメッセージのやり取りを欠かさない。
昨年、地元の高校を卒業して、東京の大学に入学した。いくつかの志望校はあったものの、東京の大学ならどこでもよかった。
地元にも大学はあった。しかし、ネットで流れてくる若い女性タレントの東京での私生活に憧れないわけにはいかなかった。
「今日は久しぶりのオフ。表参道の新しいカフェでランチでーす」
しかも、そのアイドルは隣の町の出身で、今は都内有名大学の現役学生。
地元にも、タレントはいたが、朝の地元密着の情報番組で人気が出ると、さっさと東京に行ってしまう。別にタレントになりたいわけではないが、どうして自分はこんなところで生まれたのだろうと考えてしまう。
ゴールデンタイムのテレビで紹介されるのは、東京のお店ばかり。
「東京駅の中にこんなに美味しいスイーツのお店ができましたー」
「渋谷に建設中だった新しい商業ビルが完成。中には、ショッピングモールと世界各国の料理が楽しめるグルメ街、そして映画館もあります。また上の方はホテルになってます。新しいデートスポットになりそうですね」
東京か、せいぜいその近郊の人でないと行けるはずもない店を、どうしてあんなにお知らせしてくるのか。
何とか国道ラーメン戦争とか、何とか駅前カレー激戦区、そんなのも東京の話だ。地元には、それに似たところさえありはしない。
映画もそうだ。地元にもシネコンはあるが、少しマイナーな映画はいっさい上映されない。
思春期の少し意識高い系を自称するナオコが興味を持つような、地味でアイドルなんか出ていない、アクションシーンなどなく、これと言って盛り上がりのない、スーっと始まってスーッと終わってしまう、でも、それを見ている自分が愛おしくなれる、そんな映画は東京でしかやらない。
美術展だってそうだ。
誰でも知っている有名な画家の美術展は、時々この地方にもやってくるが、文化的進歩女子がちらっとその名前を口にしたりする、知らない国の知ってる人以外にはほとんど知られていない現代芸術家の美術展となると、東京から一歩も出ようとはしない。
本だってそうだ。
あの、もう少しでノーベル賞が取れそうな作家の新刊も、地元で唯一のTSUTAYAにはまだ届いていない。ニュースでは、東京の大型書店に山積みされている映像が流れていたのに。もっとも、東京ではあの分厚い本を抱えてるとオシャレかもしれないけど、ここでは弁当箱を抱えてるのと同じにしか見られない。
地方は置いてきぼりだと、ある日ナオコは考えた。
それまで、自分の地元が地方だと思ったことはなかった。自分が生まれ育ったところは、地方どころか、世界の中心だった。
しかし、そうではなかったことが、無慈悲な現実が、これでもかこれでもかと突きつけられる。やがてナオコも認めざるをえなくなった。
ここは地方だ。
でも、とさらに考えた.
「でも、東京の人は地方出身者がほとんどだと聞いたことがある。あのアイドルだってそう。じゃあ、東京に行けるのはどんな人」
そして、
「誰でも行けるじゃん。私だって、理由さえあれば」
ナオコは、「じゃん」と思ったことで、既に自分には東京に住むべき何かが備わっていると確信した。
それ以来、東京の大学のことしか頭になくなった。
両親は反対はしたが、最終的には、学生時代をやはり東京で送った母が父を説得してくれた。とにかく父は、東京に行けば必ずレイプされる、そう思っている。さすがに、未成年の我が子にレイプとは言わなかったが、強姦とは言いかけたことがある。
「あなた、ニューヨークじゃないんですから」
母は父にビールを注ぎながら言った。多分、ニューヨークの人が聞いたら怒るだろう。
両親の許しが出れば、あとは入学試験に合格するだけ。
東京にあらずんば人にあらず。口にこそしなかったが、そう思っていた。そう信じて勉強した。
勉強の合間には、東京の情報を入手した。
そして、昨年、志望順位としてはかなり下のほうではあったが、都内の大学に合格、一人暮らしを始めた。
両親に全て揃えてもらったワンルームマンションでの初めての夜、
「東京では、星が見えないんだよ」
トオルに送信した。地元にいる頃から、東京に来たら最初の夜に送信しようと決めていたメッセージだ。
トオルは地元の銀行に就職が決まり、今は研修中。
遠距離恋愛かあ。
ナオコは、新しいベッドにダイブした。
東京への人口流入が止まらない。
過去には、それでも景気の動向に合わせて増減の波があった。
昔から東京は人々の憧れではあった。東京での恋や失恋を歌う歌もたくさんある。
それに、かつては集団就職と言って、中学や高校を卒業した若者を東京で働かせるために、護送列車のような汽車に詰め込んで、毎年運んできたものだ。それが憧れであったのかどうかはわからないが。
しかし、ほとんどの人は憧れつつも、地元で学び、地元で働き、地元で家族を持ち、地元で一生を終えた。そして生涯に一度か二度、東京を訪れて東京タワーや浅草寺を観光する。日程に余裕があれば、日光や鎌倉もついでに訪れる。それが普通の人の普通の一生だった。
おのぼりさん、東京に住みたくても金銭的その他の理由で住むことができずに、観光でしか来られない人のことを、そう呼んだりもした。
地方でも比較的裕福な家の子供は、東京の大学に進学した。しかし、卒業後は一定の割合でまた地元に戻っていった。
ところが、いつの頃からか若者のほとんどは特別裕福な環境でなくても東京を目指すようになった。大学進学だけではなくて、働くために東京に来るものも増えてきた。都内の大学を卒業しても、地元に戻らずにそのまま東京で就職する。いったんは地元の企業に就職しても、すぐに退職して東京に職を求める。
そして、若者に限らず、あらゆる年齢層が東京に向かい始めた。
「東京なんて人の住むところじゃねえ」
そう言っていたお年寄りも、結局子供や孫がいる東京にやってくる。
「東京のネオンサインを見ながら死にたい」
今では、そう呟いている。
世界的にあの病が蔓延した3年間は、流出が流入をわずかではあるが上回る現象も見られた。
後になって、あの時がチャンスだったのかもしれないと人々は思うようになった。都会での感染を恐れて、安全な地方に人々が移り始めたあの時が。
その時に、しっかり対策をしていれば。
地方の人々は悔しがった。
「何で帰しちまったんだよ」
もっと優しく受け入れておけばよかったなあ。もっと村の行事に参加してもらっておけばよかったなあ。古い民家に住んでもらったけれども、もっと古い方が良かったのかなあ。よかったら何か作物でもと提供した畑が狭かったのかなあ。
それは、全部ピント外れですよと指摘する人がいないまま今に至っている。
もちろん企業にも責任はある。あの時には、地方に住んでリモートでもいいよと、最先端のものわかりの良さを見せていたにも関わらず、いざ感染症が収束すると、
「週に一度は顔を出しなさい」
「毎日ある朝の会議には顔を出しなさい。
結局、交通費と時間を考えて、みんな東京に戻ってしまった。
そして、東京に戻る彼らについていくかのように、地方の人々は移動し始めた。その現象は、後に「ダムが決壊したかのように」と表現された。
今や、近郊だけでなく、関西、中国、四国、九州、中部、東海、北陸、東北、北海道、つまり全国いたるところから、人が東京に集まってきている。
もちろん、日本全体の人口は減り続けている。
かつて、時の首相が異次元の少子化対策なるものを打ち出した。何のことはない、子供を産めばお金をあげますよという単純な政策を、あれやこれやとそれらしくひねくりまわしただけのものだ。
そんなものが何の対策にもならないことはみんな見抜いていたが、国民は黙っていた。お金をもらえる層は、もらえるのならとやかく言う必要はないとその愚策を見て見ぬふりをして、あとの層はもう呆れてしまっていたのだ。
幸福とはなどともはや誰も考えもしない時代ではあったが、もしそう考えたとしたら、多くの人が「東京で暮らすことです」と答えただろう。つまり、幸福とは、恋愛でも、結婚でも、子供と暮らすことでもなくなっていた。
たとえ東京で勤め人の人生を終えたにしても、老後は地元に帰ってのんびりしたいと言うのがかつての人生設計だった。しかし、一旦手に入れた東京での生活を誰も手放そうとはしなくなった。
そして、その価値観の変化に気づく政治家はいなかった。いや、政治家に全ての責任を負わせるのは酷かもしれない。マスコミも、各分野の評論家も、誰も、その変化を指摘するものはいなかったのだから。
子供は相変わらず減り続け、同時に日本の人口も減り続けている。にもかかわらず、東京の人口だけは増える一方だ。
マスコミがこの現象を報告すると、それがまた拍車をかけた。とにかくみんなと同じ方向に。自分だけ反対を向いて目立ちたくない。人々は、東京を目指した。
気がつけば新幹線の上りは始発から終電まで超満員。高速道路も上りは大渋滞が続いた。
その一方で下りは常にガラガラだった。たまにいる下りの乗客や高速道路の運転手は、恥ずかしそうに目を伏せた。何が恥ずかしいのか、自分でもわからずに。
その様子は連日、ワイドショーで放送された。たまたま地方都市に取材で訪れた記者が、現場からとしてリポートする。
「私は今、こちらの駅の前にいます。ご覧ください。改札前はこの混雑状況です。私もまだ切符が買えていません。予約は、販売期間のものは全て完売とのことです」
記者が駅前でキャリーバッグを引く人にインタビューする。東京に向かう人は、困りますよねえと言いながらも、満更でもなさそうだ。マイクの前を顔を覆って通り過ぎる人は、恐らく下りに乗る人なのだろう。
もちろん人口が減少して、東京の人口が増えると言うことは、それだけ地方の人口が激減していると言うことだ。
それを、地方も黙って見ていたわけではない。
有名タレントを招いて、田舎生活の良さをアピールした。若い女優が、手作りの野菜ジュースを農家の縁側で飲みながら、
「あー、田舎って最高」
と大きく伸びをする。
畑で農作業をしている人が振り向いて、頭の手拭いを取ると、笑顔の男性アイドルが現れる。
「君も一緒にやってみないかい」
笑顔で何かの苗を掲げる。
しかし、国民は冷ややかだった。
「どうせあのタレントは、あの撮影が終わると港区の高級タワーマンションに帰っていくんだろ」
移住してくれる人には、住居を用意したり、さまざまな手当金も用意した。しかし、肝心の仕事が地方にはなかった。
農業をやってくれる人には、無料で田畑を貸し出した。もちろん、未経験でも一から丁寧に指導してもらえる。
しかし、
「住むところだけあったって、仕事がなけりゃ、意味ないよ。都会で育ったのに農業だって?あんなのは、いつでも都会に戻れる都会人が、別荘での趣味気分でやってるだけなんだよ。とてもそれを本職にはできないね」
大学も作った。
都会のどこかの大学に似た校舎。広いキャンパスには、芝生が広がり、中央では噴水が日の光を反射させている。宗教とは何の関係もないのに、教会のような建物も作った。明るいカフェテラスには、白いテーブルと椅子。ビュッフェスタイルの学生食堂。有名な学者や研究者を教授に招いた。テキストを小脇に抱えた女子学生が笑いながら並んで歩くポスターも貼りまくった。
ボスターを張るたびに、担当者の気分は高揚した。これで、少なくとも若者の流出は防げるはずだ。
周囲の住民も期待した。
最寄り駅の商店街も、とうの昔にシャッター通りになっていたが、再び商売を開始する店も出てきた。校門前には、新しい喫茶店や、「学生さんに腹一杯食べてもらいたい」と超大盛りを用意して待つ定食屋もできた。
農家の人たちは、空いている部屋を、親元を離れて通う学生のためにリノベーションして希望者を待った。
しかし、若者は見向きもしなかった。
結局、大人はわかっていなかった。いや、分かってはいたが、誰も本音で話し合おうとはしなかった。学生は、別に勉強するために大学に進学するのではないことを。それは、今に始まったことではなくて、もう何十年も前から言われていたことなのに。
役所はアンケートをとった。本来なら、最初に実施するべきではあったのだが、自分たちの考えにあまりにも自信がありすぎて思いつかなかった。
「地元の大学に進学しない理由は何ですか」
最も多かった回答は、
「東京じゃないから」
つづく
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