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『東京23区最後の日』3

1話
2話

3 壁の出現


 ミチコは、東京にいる孫のことが毎日心配でならなかった。
 孫の母親は、出産して間も無く交通事故で亡くなった。ひとりになった息子を助けるつもりで、ほとんど自分が母親代わりとなって育ててきた。男の子ならまだしも、女の子を男手ひとつで育てるのは難しいだろう。自分と同い年の夫も反対しなかった。
 入学式や参観日にも出席したが、中学校に入る頃から孫は、ミチコが学校や友だちといるところに現れるのを嫌がるようになった。もちろん、反抗期があるのは承知していたし、気にはしなかった。
 中学2年生の頃から、高校2年生くらいまでの間は、少し悪い友だちとも付き合っていたようだ。それでも、高校を卒業して、東京の専門学校に行く頃には、また何でも笑顔で話してくれる、可愛い女の子に戻っていた。美容関係の学校らしい。
 東京に行ってからも、頻繁に連絡はくれていた。時々届く孫からのメッセージを、夫婦で顔を並べて見ていると、初めて子供を授かった若かりし頃の2人に戻れそうだった。
 もちろん、メッセージの内容はいいことばかりではない。悲しいことも、悩み事もあった。その都度、ミチコは励ましのメッセージを送った。専門学校を中退した時も、出してもらった入学金を無駄にしたと詫びる孫に対して、「気にしないで。決して無駄だとは思っていませんよ。あなたの人生はこれからです」と返信した。
 妊娠を知らされた時には、夫婦で過去の送信履歴を何度も見返した。もしかして、誰かと付き合っているとか、結婚するとか、したとか、そんなメッセージを自分たちが見逃していたのではないかと不安になったのだ。何度も見返して、「わかりました」と送信した。少し時間をおいて、「戻ってきてもいいよ」とまた送信した。
 それから何か月かして、孫からの送信は途絶えた。
 夫と相談した結果、ミチコは孫を訪ねることにした。結婚する前は、少し長い休みが取れると、よく友人らと東京に遊びに行っていたが、結婚してからは初めてだ。あの頃は、原宿あたりで同い年の男の子や女の子が踊っているのを見るのが楽しかった。決して自分で踊ろうとは思わなかった。踊らなくても、そのすぐそばで、手を伸ばせば届くところで、同じリズムに小さく体を揺らすことだけで、いつでも自分は向こう側に行けるそう思えることだけでいい。帰りには、地元に近づくにつれて濃くなっていく闇が、電車の振動に合わせて重くのしかかってくる。
 ミチコは、赤いキャリングケースに、数日間の着替えと、地元のお菓子や食べ物をいくつか詰め込んで出発した。
 東京に入るいくつか手前の駅で列車が折り返しになっていることを知らなかった。見知らぬ駅で降ろされたミチコは途方に暮れた。ふらふらと大通りの方に歩き出す。振り返ると1台のタクシーが走ってくるのが見えた。


 地方での大学新設作戦は失敗に終わったが、今度は東京の大学を地方に移転させようとする案が浮上した。若者が東京にやってくるいちばんの理由が大学進学なら、その大学を地方に移してしまえば、少なくとも、若者の東京流入は防げるのではないか。
 これを聞いて、また地方都市の誘致合戦が始まった。
 政府はまず六大学からと考えていたようだが、いちばん人気があったのは青山学院だった。まあ、青山という地名は全国各地にあるようで、「うちに来てもらえれば、そのまま青山学院で行けますよ」と。
 しかし、青山学院は毅然と言い放つ。
「我々は、神の御心によってこの地に立っているのです」
 この時初めて、青山学院がクリスチャンの大学だと知った人も多い。ある程度の割合で、学生の中にもいたようだ。そして、神の御心には誰も逆らえなかった。
 これを見て、六大学が俄然ざわつき始めた。
 東京六大学野球連盟はすぐに声明を出した。
「まず最初に、最近は受験用語のように使われている六大学と言う呼称ですが、これは本来、東京六大学野球リーグに所属する大学のことであります。受験とは何の関係もない。それが、野球のやの字も知らない受験生に目指されるとは、何ともこそばゆい思いとともに、人の愚かさと言いますか、君たちの人生なんてそんなものなのかと、いささか諦めの境地にも達するわけであります。
 つまり、彼ら受験生にとっては、知名度があって、この東京にありさえすれば、どこでもいいのかと。別に、大学で人生が決まるとは申しませんが、青春のいちばん格となる年月を過ごす場所、それをそんなことで決めてしまっていのかと。彼らの人生とは、その程度のものなのかと。もちろん、我々東京六大学の各大学は、野球をやるためだけに存在するわけではありません。それでも、学問という話になると、六大学の中にも、東京大学や慶應義塾大学と、その、つまり、中には、雲泥の差とまでは申しませんが、そのように表現される大学もあるわけで。いや、失礼。これは取り消してください。
 それと、今や全国に何ちゃって六大学が蔓延っていますが、六大学と呼べるのは、この東京六大学だけであります。いや、構いません、こうして野球が盛んになるのはいいことです。どんどんやってもらって結構です。いや、やりましょう。我々もむしろ応援しますよ。ただ、我々が地方に行くことはありませんよと。だってそうじゃありませんか。東京六大学が地方に散らばったら、もはや東京六大学でも何でもない。ただの解散でしかない。そんなことはできませんよ。
 従いまして、我々東京六大学野球リーグに所属する6つの大学は、今後も東京を離れることはあり得ません。もし、今六大学入学を目指しておられる受験生の中に、入学した途端に地方に移転するんじゃないかと心配されている方があったとしたら、ご安心いただきたい。我々東京六大学は、この東京で皆様をお迎えし、この東京で皆様を送り出します」
 この後、東京の各大学はあわてて、これまでの大学名の頭に「東京」をつけ始めた。東京N大学、東京K学院大学、東京S修大学、等々。

「総理、呼ばれましたですか」
「ああ、入ってくれたまえ、官房長官」
「失礼いたします」
「君、東京23区の面積はどれくらいか知ってるかね」
「以前に調べたことがあります。だいたい622平方キロメートルですね」
「人間一人が畳一畳で生活するとどうなるかね」
「は?」
「畳一畳を1.62平方メートルとして計算するとだよ」
「はあ」
「3億8400万人が住める計算なんだよ。つまり、全国民が東京23区に集まったって、まだまだ余裕なわけだ。それに、23区だけが東京ではないんだし」
 官房長官は思った。
(馬鹿か、この人は)
「あのう、首相、お言葉ですが、地方から東京にやって来る人は、東京と言えば東京23区だと思い込んでいます。それに、23区内にはすでにビルや家も立て込んでおり、川や池もあります。そんなに畳を敷き詰めることは難しいかと。それに、人は畳一畳の中だけで生活するものでもなく、移動しなくてはなりません」
(なんでこんなことまで説明しないといけないのだ)
「と、してもだ」
「さらに、今や日本人だけではないのです」
「なに?」
「世界各国から東京を目指して人は集まってきています」
「と、言うことは、君ぃ〜」
「そうです。今や世界の90億が東京を目指しているのです」
「90億は言い過ぎだよね」
「言いすぎました。しかし、世界各国から集まっているのは事実です。今すぐに何らかの手を打たれた方がいいかと。すでに、首都高などは、もう車は動きません。車を降りた歩行者が歩き始めています。かねてから、地方の人が噂していた『首都高って、日本一長い駐車場』、それが現実となりつつあります。それと、山手線も間も無くストップするでしょう。すぐに、各国に対して入国制限をされるべきかと」
「ええー、断るのは苦手だなあ」
「もしよければ、外務大臣に任されても」
「いや、ここは総理大臣の私が。すぐに繋いでくれたまえ」
しばらくして、秘書から連絡が。
「総理、つながりました」
「ありがとう。えーハロー、ミスター、え、ちょっと、ウェイティン、君、これはどこの国」
「中国です」
「最初に言ってよね。ああー、ニーハオ、ニーハオ」

 政府は世界各国に対して、入国制限を実施し、入国後の行き先が東京以外の場合にのみ許可をした。しかし、一旦地方都市に移動してから東京に入るという違法流入が後を絶たない。これくらいのことは、容易に想像できそうなものではあるが、そこをあえて考えないようにするのが、政治家でありお役人、官僚だ。追求されても、
「我々は海外からの東京への移動は認めていません。認めていないと言うことは、認めていないと言うことです。これは、各国にもご理解いただいています」
「現にたくさんの外国人がやってきているじゃないですか」
「我々は認めていません」
「でも、実際には」
「はい、次のご質問は」
 こんな時の会見は、まるで違うバースから集まったかのように、異なる時間軸がここで交錯したかのように、話されているのは同じ日本語でありながら噛み合わないものだ。
 ある記者は拡大した2枚の写真を取り出した。
「これは、浅草寺の表参道の写真です。こちらが5日前、こちらが昨日の写真です。明らかに外国人が増えているじゃないですか。それに、アジア系だと見分けがつかないことを考えれば、見てわかる以上に外国人は増えているのですよ」
「どれどれ、よろしいですか」
「よく見てください」
「ああー、でもこれだけじゃ、これがいつの写真かは分かりませんね。それに、加工もできるわけですし」
「じゃあ、これがフェイクだとでも」
「そうは言ってません。そんなこともできるというだけのことです。あ、それにね、よく見てくださいよ」
「何ですか」
「こことここ、ほら、2枚の写真に同じ人が写っているじゃないですか。おや、他にもいる。ここにも、この人もそうだ、ほとんど動いていない」
 ずっと後になって、この時の会見が取り上げられた。
「あの2枚の写真で気づいていれば、もう少し何とかなったのではないか」
「いやいや、あの写真にあの状況が写っている時点で、既に不遅れだった」
 そんな議論が交わされたが、それは単に興味本位以外のものではなかった。
 終わりの始まりをとらえた貴重な写真であるとして高い評価を受けることとなったこの写真ではあるが、海外からは、
「あの時、あの写真を見せてもらっていれば、我々は、我々の国民を日本で失うことはなかった。すぐに救助に駆けつけただろう。せめて、あの写真に写っている人間の安否だけでも、日本は世界に公表するべきだ」
 そう追求されることとなった。
 浅草寺から5日間も動けない人をとらえた貴重な写真。政府もマスコミもそのことの重要性にその時に気がついていれば。しかし、その時には、無意味な議論の材料としてしか扱われることはなかった。

 とは言え、政府も何もしなかったわけではない。まずは、国外からだけでなく、国内の移動においても、東京への流入を制限した。
「バック・トゥ・ザ・ふるさと」キャンペーンを展開した。
 しかし、効果はほとんどなかった。
 そこで、政府は思い切った作戦に出た。そう、それは政策などではなく、作戦に近いものだっただろう。誰が言い出したのかは、わからない。記録にも残ってはいない。

 腕づくで流入を防ごうとするその作戦の取り掛かりは早かった。政府が丸投げをしたせいもあるだろうが、大手ゼネコンがこの時にはお互いうまく分担して、連絡を取り合い、資材を分け合って、突貫工事に取り掛かった。23区内はほとんど道路が使えないために、外側から作業を開始した。連日、昼夜を問わず、大きな音が響き渡った。
 都民の間では、様々な憶測が飛び交った。
「ついに地下に新しい街を作り始めたんだ」
「いや、他府県までの地下道路じゃないかしら」
「バベルの搭さ」
「宇宙階段ですよ、ついに」
「でも、あの壁を見て、ほら、多分新しい建物よ」
 長さも高さも数十メートルに及ぶコンクリートの壁が1枚、2枚と並べられていく。それがつながり、その壁が23区を囲むように並ぶのが目に見えてくると、さすがにみんな理解し始めた。
 あれは壁だ。
 あれは東京23 区を取り囲み、つまり自分たちを囲み、流入を防ぐ壁。さらには、もう誰も、これから以後は東京都民にはなれないことを告げる壁。その外と内の格差を際立たせ、さらには確定する壁。
 そう、政府は23区を壁で囲い、これ以上の流入を力ずくで防ごうとしたのだ。当初は東京都全体を囲むべきだと言う案も出されたが、予算の関係と、立川市や八王子市以西の山間部まで本当に必要なのか、ではどこで区切るのか、府中市か、調布市か、いや、三鷹市なのか、そんな議論の末に、ここはまず23区でいいだろうという結論に落ち着いた。
 都知事や、各区長からの反対はなかった。港区長などは、
「もともと港区はそこに見えない壁があると思っていましたからね。ですから、できるなら、港区だけさらに壁で囲って欲しいくらいですよ」
 さすがに、これには他の区長がうんと言わなかった。
 23区を壁で囲うことについては、もちろん、反対の意見もあった。しかし、
「あの万里の長城は21,000キロ、23区を壁で囲んでも、せいぜい130キロ。できないわけがないじゃないか」
「でも、そんなことをすれば、23区から出るに出られないぞ」
「散々今まで、出ろ出ろと言ってきて誰も出ていかなかっただろう」
「今は、流入を防ぐことが先決だ」
 そして、着工からわずか数ヶ月で、東京23区は高いコンクリートの壁で囲まれることになった。もちろん、海からの密航にも備えて、東京湾沿いにも高い壁が聳え立っている。
 それは、さながら、現代に忽然と現れた中世の城郭都市のようだった。ただ、上空からよく見れば1カ所だけ、人ひとりが通れそうな隙間のあることがわかる。北区と埼玉県川口市の境目あたりだ。まったく、お役人というやつは、いつも逃げ道をどこかに残しておくものだ。23区を囲んだことを追求されると、
「ですから、完全には囲んでいませんよ」
 もちろん、それはたちまち東京を目指す人の間に知れ渡り、ひとり、またひとりと爬虫類の口のような壁の裂け目から、東京の中に自ら飲み込まれていった。
 この城郭都市に、近隣国は警戒を強めた。
 真夏の暑い夕日が城壁を赤く染めた。

「テレビはどうなってる?」
「テレビは影響ありません。もともともうずっと前から若い奴らはテレビなんか見なくなっていますし。それに、NHKなんて朝ドラと大河以外は誰も見ませんよ。民放も、おもしろ動画を垂れ流しているだけですから」
「しかし、ニュースがあるだろう」
「多分、古いニュースを流しているんじゃないですか。国民なんて、テレビで見たものをそのまま信じてしまいますから」
「そう言えば、この間、『オオヒラさーん』なんて声が聞こえてきたぞ」
「そうです。そう言うことです。それに、間も無く、電力も底をつきます」
「なに、電力もだと」
「ええ、これだけ人が集まれば足りなくなりますよ」
「この真夏にそんなことになればどうなる」
「どうなるかは、誰だってわかります」

 人々の携帯の電源はなくなり始めた。もはや充電のために自宅に戻ることもままならない。いや、都内だから、携帯の充電などどこででもできるはずだが、そこまでがたどり着けない。それに、もはや自分がどこにいるのかもわからなかっただろう。
 壁に囲まれた23区は、さながら満員電車のようだった。満員電車には慣れっこの人たちではあったが、それは行き先のない満員電車。あるいは、大きなイベントが終わった後の座席から出口までの通路。下を向いて前の人の踵だけを見て歩いていく。


つづく

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