『東京23区最後の日』2
1話
2 霞ヶ関の方で
始業前の点呼で所長のナエハラが話していた。
「最近は、道路の渋滞が異常です。どこにお迎えに行くにも、お送りするにも、十分に余裕を見てください。また、帰庫する際にも、遅れることのないように早めにこちらに車を向けるようにしてください。では、今日も安全運転でお願いします」
ぱらぱらと「はい」の声がして解散する。
タケシも、返事とも唸り声ともつかない低い声を出して、周りを見回すとため息をついた。
今日も数人の姿が見えない。タクシー運転手なんて、当日急に休む奴も珍しくはない。風邪だ、腹痛だ、腰痛だと理由はいくらでもある。安全第一が建前の職場だから、無理も言えない。それでも、タケシがこの業界で働き始めた20年前には本当に自宅で休んでいるかどうか、わざわざ見にくるような管理職もいた。
もちろん、休めば売り上げは下がるわけだが、何日か残業して頑張れば取り返せるし、うまくいけばどこかの休みに出勤できるかもしれない。運転手が溢れるほどいる時には、なかなかシフトを変更することも難しいが、今はどんどん人が減っている。シフトなんて、あってないが如しだ。会社も状況に合わせて、減車をしているが、それ以上に運転手は減っている。
タクシーだけでなく、トラックなど物流関係も同じだ。どんどん人が減っている。しかし、こんなことはもう何年も、いや、もっと前からわかりきっていたことだ。もっと緊急に取り組むべき問題であったのに、国は、少子化対策だとか言って、仮に子供が産まれても働けるまでには20年くらいかかるんだよ。採用も担当するナエハラは、時々運転手の休憩室に顔を出すと愚痴を言っていた。
しかし、ここ最近の出勤人数の少なさはそれだけではない。みんな、会社に時間通りにたどり着けない。タケシは同じ敷地内に建てられた古い寮に住んでいるから通勤の心配はない。
寮とは言っても、四畳半の部屋が、各階に7部屋ずつ、3階までびっしり詰まっている、よく言うタコ部屋のようなものだ。今どき、炊事、トイレは共同。風呂もかつては共同のものがあった。あったが、もう何年も前に封鎖されている。酔って湯船に飛び込んでそのまま亡くなった運転手がいたからだ。それからは、寮の横に作られた簡易のシャワーしか使えない。「あの馬鹿のおかげで」と、タケシたちは、シャワーを浴びながら愚痴をこぼした。
運転手の中には、1時間以上かけて通勤してくる者もいる。中には隣の神奈川や千葉あたりから通う者もいる。彼らが、家を出て会社までたどり着けないらしいのだ。渋滞であったり、電車の遅延であったりで。
タケシはナエハラに声をかけた。所長のナエハラも自分と同じ50歳前後だろう。家族は妻と大学生の娘がひとりと聞いている。
「今日は何人くらい」
「そうだなあ」
ナエハラは脇に挟んでいたクリップボードを見た。
「ざっと3分の2かな。まあ、キヨとタチハラさんは連絡があって、何とか昼過ぎに着けるらしいけどね、あとは、どうだか」
「3分の2ね。オッケー」
タケシは、手にした釣り銭袋をチャリチャリ言わせながら車庫に向かう。釣り銭も今では使うことはほとんどない。支払いは、カードかコード決済が普通だ。しかし、いつの時代にも、変化を受け入れない、受け入れなくても生きていけると信じている人はいるものだ。ほとんどは老人だが中には若い奴もいる。
「運転手さん、あれで僕たちのデータが全部抜き取られているの知ってますか」
今どき、何を言ってるんだ、こいつ。そう思いながらも、
「へえー、そうなんですか。気をつけないといけませんねえ。で、その抜き取られたデータってのは、どこに行くんでしょうかね」
「いえ、それは言えないんですよ。僕は、知ってるんですけれどね、それを口にした瞬間に何をされるか、言ってしまった僕も、聞いてしまった運転手さんも」
こんな奴に限って、料金に細かい,
簡単に始業点検を済ませると、運転席に座った。始業点検と言っても、こんなコンピュータ制御の電気自動車で、素人が点検するところなどほとんどない。せいぜい、ライトとタイヤの空気圧くらいのものだ。それだって、何か異常があれば、運転席の前のモニターで知らせてくれる。
しかし、これから電力不足になれば、こんな電気自動車もいつまで動かせるのやら。
タケシは、タブレットに自分のコード番号を入力し、オール自動にチェックを入れると、エンジンを始動した。
「便利になったものだ」
あえて声に出してみた。俺らの頃は、と誰にともなく心の中で語り始める。
俺らの頃は、毎日ボンネットを開けて、エンジンオイルや冷却水、それにバッテリーやベルトのチェックをしたもんさ。オイルやバッテリーの交換なんて、新人の頃は自分でやらされた。ライトのチェックも、ヘッドライトや指示器は自分でわかるが、ブレーキやバックのライトとなると、お互いにチェックしあってね。だから、会話があったよな、車庫で、運転手同士。今みたいに誰ともひと言も話さずに出て行くなんてこたあ、なかったさ。それで、運転席に座ると、その頃は営業日報は紙に手書きだったからね、おお、そうなのさ、自分でメーターを見ながら指数を書き写すのよ。裏も一緒、毎回、乗せた所と時間、降ろした所、それに料金、これをちまちまと手書きしてたのよ。でも、それでその日のペース、調子、客の流れが見渡せたんだ。今みたいに、帰って来て、ボタンひとつでどこかのコンピュータに送って終わりじゃ、何も見えねえよ。
「何も見えねえよっと」
よっとのところでギアを入れて発進しようとしたら、事務所の方からナエハラが駆けてきた。手にしたメモを振りかざしながら。
運転席のウインドウを下げる。
「どうした」
「いや、ヨネヤの奴が、大宮からの帰りに事故った。送った帰りで、客はいないからまだいいんだけど」
「いやに遠くまで行ったんだな。で、警察は」
「いや、警察もいつ到着できるかわからないってさ。行ってやってくれないかな」
ナエハラが差し出したメモを受け取る。
「とにかく向かうけど、こっちもいつになるかわからないぞ」
「オッケー。時間分は会社に請求してくれいいいから」
「怪我人は無しだな」
「ああ」
「じゃあ、のんびり行って来るよ」
ウィンドウを閉めて、再びギアを入れる。ナエハラが一歩下がって、親指を突き立てた。タケシも親指を立てて、発進する。時間分どころか、今日はこれで終わってしまうんじゃないか、いや、それよりも、帰れるかどうかだと心配しながら。
「入りたまえ」
「失礼します」
「やあ、官房長官、どうしたんだね」
「総理、どうされますか。このままではマスコミも黙ってはいないと思います。何らかのアクションを起こさないと」
「そうだなあ。現状はどうなんだ」
「はい、今朝の報告では、甲州街道、青梅街道あたりはかなり人で埋まっていると」
「わかった。じゃあ急いで計画を進めてくれたまえ」
「では、内閣府、宮内庁、防衛省以外はさっそく移転してもらいましょう」
「それにしても、デジタル庁なんかは、庁として残してやってるだけでもありがたいと思ってさっさと移転するべきなのになあ」
「おっしゃるとおりです。あの大臣、自分のAIクローンを作るのに夢中ですから」
「あれ、気持ち悪いだけなんだけど」
「真っ先に移転させましょう」
「頼む。他の省庁も遅れないようにね」
「かしこまりました」
「勝手にどんどんやっちゃっていいよ。もう、国会なんていつ開けるかわからないんだし」
政府は、マスコミの批判をうけて、霞が関の省庁を地方に分散しようとした。
「民間の企業に地方分散を訴えるよりも、まずは省庁の一極集中から手をつけたらどうなんだ。我々はそれからだ」
経団連会長がテーブルを叩いて訴える様子をマスコミは大きく報じた。そして、各労働団体も今回はこの発言に同調した。
ニュースでは、「省庁分散を訴える人々」と国会議事堂前に集まった群衆を映し出した。実際には、それはただ山王坂方面から押し出されて来た人々が押し合いへし合いしていただけなのだが。
今回ばかりは、政府も動かざるを得なかった。
受け入れ先は、すぐに決まった。地方としては、これを断る理由などない。過疎化がどんどん進み、今や1人でも移住者が欲しいところだ。お役人であろうがなんであろうが構わない。
日本海側のとある県の知事は、
「何なら、府中刑務所だって引き受けますよ」
と発言して大炎上したが、知事の中からは擁護する声も上がった。
とにかく、霞が関から移転してくれるのなら大歓迎だった。移転と一緒に許認可権も持ってきてくれれば、関係する企業まで移転してくれるかもしれないのだ。一石二鳥。渡りに船。
「まさに鴨ネギです」
これも日本海側の同じ知事の発言だ。
各地で誘致合戦がスタートした。
しかし、一部の岩盤ネットは絶対嫌紙が大好き層の議員が猛反対した。
「ネットで打ち合わせなんかできるもんか。こんなのは膝突き合わせてやるからいいんだ」
こんな議員が過去にも、さまざまな法案成立を妨害し、改革イコール改悪だと信じて疑わず、とにかく自分たちが何もしないで座り続けられる椅子を守るために、後ろの方から大きな声だけは出し続けてきたのだ。まるで、議事堂の苔にでもなるかのように。
もちろん、官僚たちは、本当は国会の答弁が不安なくせにと見抜いていた。それと、自分たちに直接怒鳴りたいだけじゃないかと。何かといえば「俺は国を背負っているんだよ」
いやいや、背負っているんなら、もう少し自分で勉強しろよ、そう言いたいのをぐっとこらえて、官僚たちは働いてきた。
実際に、過去には文部科学省の外局が京都に移転したことがあった。その時には、
「省庁の地方分散の魁となるように、この文化の都、京都で、まずは地元の皆様に愛されるように頑張ってまいります」
当時の長官はそう息巻いていた。
しかし、彼らが京都に行っても、結局は、岩盤ネットは絶対嫌紙が大好き層の議員の「報告は対面で、資料は紙で」との要求のために、東京との往復が重なり、それが労働時間の大半を閉めるようになってきた。
マスコミに大幅に増えた交通費を追求され、結局、数年で霞が関に戻ることになってしまった。
また、その時には官僚たちも、本心は東京に残りたかった。京都なんかに住みたくなかった。古都だ何だと言っても、彼らにとっては、東京以外は地方だ。
東京にいて、地方の役人たちを下に見たい。人の組織が、いや、その生きる世界が、見えるものも見えないものもピラミッドであるならば、その少しでも上に立ちたいと言うのは、人間としての自然な欲求ではあるだろう。その数あるピラミッドの全ての頂点が東京にあるのなら、誰がそこを譲ろうと思うだろうか。
そして、何よりも「霞が関」という響き。
長い長い登り坂を歩き続けて、人々が前に進むのを諦めたそのはるか先、まさに雲か霞か、もう下からは見ることなど叶わない場所、それが「霞が関」なのだ。
「お勤めはどちらで」
「ちょっと霞が関の方で」
その時のなんとも言えない、体の中の丹田の奥の方から湧き上がってくる多幸感。これを捨てて、なお価値のあるものなど、この世にあろうか。
このために官僚になりましたという者も大勢いる。
これは、サラリーマンの、
「お勤めはどちらで」
「ちょっと丸の内の方で」
や、高校球児の甲子園にも通ずるものがあった。
高校球児も、あれは東京ドームやマリンスタジアムではなく、甲子園でないとだめなのだった。
同じように「霞が関」は「霞が関」
そんな官僚たちの隠された本心と、岩盤ネット嫌紙が好き層の議員たちの露わな欲望が、今回も見事に一致した。
霞が関を分散と言う案は棄却された。棄却されたと言うよりも、官僚がハイハイと言いながら何もしなかったために、うやむやになってしまったと言うのが真相だ。
国会議員は、批判するマスコミに応酬した。もちろん、与野党一丸となって。
「あんたたちこそ、東京に集まってないで地方に本社を移せばどうなんだ。地方にも人がいれば、事件があるんだ。マスコミは地方を見捨てるのか。昔のブン屋魂はどこに行った。人を追求する前に、自分たちでできることがあるだろう。そんなことだから、新聞も週刊誌も売れないんだ。テレビなんか、もう誰も見てないじゃないか。大体、ネット記事って誰が書いてるんだ。そもそも、てにをはがなってない文章ばっかりだ。誰がチェックしてるんだ。持ってくりゃ、こっちで添削してやるぞ」
言いたい放題だった。
中には、当たらずとも遠からずと思える部分もあったが、もちろん従うわけにはいかない。
新聞記者は、
「『季節のお便り』ばっかり書いてられねえんだよ」
と社内で怒りを露わにする。
テレビ局やラジオ局の番組制作スタッフも同様だ。
「タレントが東京にいるのに、スタジオだけ地方ってなんなんだよ。交通費も馬鹿にならないのに」
結局、このニュースはある日を境に一切取り上げられなくなった。
つづく
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