見出し画像

「あんのこと」は誰のこと

ホステスの母親と足の悪い祖母と、3人で暮らす杏は21歳。
幼い頃から、酔った母親から暴力を受け、小学生から不登校に。
さらには母親の紹介で売春を強制される。
希望などなく、ドラッグに明け暮れる日々。
そんな彼女が、刑事である多々羅と出会う。
杏は、彼や、彼の知り合いの記者、桐野の助けも借りながら、立ち直るきっかけをつかんでいく。
母親を振り切り、家を飛び出して、シェルターマンションに入居。
多々羅が主催する薬物依存から抜け出すためのサークルに通い、介護施設で働き、さらには夜間中学にも通い始める。
しかし、そんな最中、刑事である多々羅が、桐野の記事が元で逮捕される。
多々羅がサークルに参加する女性に、性的強要をしていたというものだ。
さらに、蔓延した新型コロナウイルスが、杏から人々との繋がりを奪っていく。
サークルは解散し、コロナ禍で介護施設からは休暇を言い渡され、夜間中学は休校となる。
街からも人の姿は消えて行く。
ある日、杏は同じシェルターの入居者から幼い男の子を預けられる。
まだおしめも取れない男の子を杏は必死で世話をする。
しかし、杏の前に再び母親が現れ、すべてを引き戻す。
あの日、杏が見上げた空には、東京オリンピックの開幕を告げる5本の飛行機雲があった。

この映画は、ある新聞記事から着想を得たとのこと。
それは、薬物依存から立ち直り夜間中学に通い始めた女性が、コロナ禍に自らの命を絶った、そんな小さな記事だったらしい。

映画の感想は、ひとことで言えば、
「見なければよかったけど、見てよかった」
そして、
「多くの人にこの映画を見て、『見なければよかった』と思って欲しい」

あらすじは、最後まで書かなくても想像はつくだろう。
希望のある終わり方ではない。
希望を仄めかすこともない。

この物語を、杏が立ち直ろうとするところで終わらせていれば、ハッピーエンドで締めくくることもできた。
僕は気持ちよく映画館を後にできただろう。
ストーリーの捻りのなさはあったとしても、それを納得させるほど、それまでの杏の人生は悲惨なのだ。
例えば、大谷翔平の元通訳、水原一平氏にしても、彼の物語を昨年で書き終わっていれば、それはヒーローを支えた影の立役者の物語だった。
人生はただ淡々と様々な関係を持った出来事が続いていくだけ。
その人生に筋を与えるのは、我々の仕事だ。
それを、ハッピーと喜ぶのも、バッドと悲しむのも、それは人間次第なのだ。

そして、この映画は杏の希望の、その先も描き続けた。
残るのは、杏と言う名のひとりの女性の物語。
悲しいのは杏なのか、杏の人生を見た僕たちなのか。

「あんのこと」をあんのことと思うのか、誰かのことだと思うのか。
それは、あなた次第だ。
あんはそこにいる。

主演は河合優美。
この人の演技は素人が見ても凄い。
ちょっとした仕草、表情、鉛筆の握り方に至るまで、それは紛れもなくあんそのものだ。
他に、多々羅を佐藤二郎、桐野を稲垣吾郎が演じる。
監督は入江悠。

ちなみに、新聞記事から生まれた歌と言えばこちら。
「フランシーヌの場合」
1969年3月30日の日曜日、フランスの女子大生フランシーヌ・ルコントがビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺をした。
それを報じた日本の小さな記事からこの曲は生まれた。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,494件

#映画が好き

3,353件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?