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戦争の俳句などと一句

戦争の俳句で真っ先に思い浮かぶのは、

戦争が廊下の奥に立つていた 渡辺白泉

この句は教科書にでも載っていたのか、十代の頃から知っていたような気がする。
廊下の奥で、先生が手招きするように、戦争がさりげなく待ち構えている。

遺品あり岩波文庫「阿部一族」 鈴木六林男

別に戦争で亡くなったと言っているわけではないが、背後に「戦死」の文字が見えるような気がする。

また

はこべらや焦土の色の雀ども 石田波郷

しかし、八月に入ったあたりから、僕の頭に何度も浮かんで来るのはこの句

南国に死して御恩のみなみかぜ 摂津幸彦

この句も戦争の文字はひとつもない。
にもかかわらず、この死が戦争による死だとどうして思ってしまうのだろう。
「御恩」の「御」の文字の行き着く先、それが多くの日本人の中では天皇陛下なのではないだろうか。
それは意識している、いないの問題ではない。
それほど、天皇の存在は、根深く特殊なのだ。
諸国の王は時代が変われば捉えられ処刑されて来た。
しかし、天皇だけは、この国が誕生してからずっと天皇であり続けている。
誰も天皇の地位にとって変わろうとする者はいなかった。
藤原氏で、平家でも、源氏でも、また、信長や秀吉、家康でさえも、やろうと思えばできるだけの権力と武力を手にしていたにもかかわらず、そうしなかった。
この事はまた別で考えたいと思う。
「南国」これはニースなどの南国ではない。
硫黄島やガダルカナル、あるいはフィリピンなど、いわゆる南方のことだ。
もしかすると沖縄かもしれない。

僕は最初、誤読をしていた。
南国に死した本人が、天皇陛下に対して、「ありがとうございます」と南風を日本に向けて吹かせている、そう思っていた。
しかし、よく読むと「御恩」だ。
「御恩のみなみかぜ」
つまり、自分は死した、しかし、ありがたいことに、私に代わって風を吹かせてくださっている。
その風はどこに向かっているのか。
日本であり、そして、私の家族なのだろうか。
でも、僕たちは知っている。
そんな風は、きっと吹かなかったのだ。
「南国に死して」も、「御恩のみなみかぜ」などは、どこにも吹かなかったのですよ。
でも、それを伝えたい人はもういない。

もちろん、これは僕の解釈であり、本当は解釈などしないほうがいいのだ。
こんな風に言葉で区切らずに、好きな句をそのまま自分の中に持っておく。
本当はそうあるべきなのだろう。

戦後79年。
戦争を経験した人も、それを語る人も、日本には少なくなってきている。
そのことを憂うる人もいる。
でも、僕は信じたい。
経験しなければ、言われなければ、戦争の悲惨さがわからないほど、日本人は馬鹿じゃないと。

百年ののちもこの日が終戦日 碧萃生

甲子園では今日、サイレンと共に正午に一分間の黙祷が行われた。

※タイトル画像は日刊スポーツより

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