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悲しい話と嬉しい話

まずは悲しい話から。
僕が清掃員として働いているマンションで、こんなことがあった。
そのマンションは敷地が広く、エントランスまでの間に広い公園があり、桜や梅、椿、欅などが植えられている。
そこの落ち葉を集めていた時のこと。
小学校三、四年生の男の子が駆け寄ってきた。
「おっちゃん」
うん、そやな。
さすがにもう、おにいちゃんには見えへんな。
ええで、どうした?
「おっちゃん、子供の時に勉強せえへんかったんか?」
このガキ、いきなりなにぬかしとんねん。
瞬間湯沸器のスイッチに手が伸びるのを必死に抑えながら、頭の中で思考を巡らせる。
なるほど、そうか。
この子のお父さんかお母さんが、この子が勉強を嫌がった時に、窓から外を見ると清掃員が掃除をしている。
とっさに、
「ほら、見てみ。勉強せえへんかったら、あのおっちゃんみたいになるんやで」
恐らくそうに違いない。
この子に罪はない。
瞬間湯沸器のスイッチは回避したが、次は論破欲が沸々とわいてくる。
あのな、おっちゃんの家は君の家よりも広くて、おっちゃんの方がもしかしたらええ車乗ってるかもしれなくて、おっちゃんの給料がマックス高かった時は君のお父さんよりもたくさんもらってたかもしれへんのやで、どや、このクソガキ。
でも、冷静なマー君は、ぐっとこらえた。
「そやなあ、おっちゃんは勉強はせえへんかったかも知れへんけど、一生懸命働いてきたんや。そやから、今は君らのためにこうして働けるんやで」
顔で笑って心で泣いた、マー君であった。

恐らくこの子の親は、心底僕の仕事をそのように思って言ったのではないと思いたい。
勉強しない子に困り果てた末に、良くないとは思いながら、つい出てしまった言葉なのだ、きっと。

もちろん世の中にはそうでない人もいる。
以前、こんな記事を書いた。

僕が子供の頃に、近くのバス停の向こうに刑務所があった。
有刺鉄線だったのか、中で畑作業のようなことをしている人たちが見えた。
恐らく、軽度な罪の人たちだったのだろう。
僕の親は、
「悪いことしたら、あそこに入らなあかんのやで」
と言っていた。
しかし、こうも言っていた。
「仕事は何でもいいけど、一生懸命やるのが大事やで」
まあ、今は「一生懸命」もNGなのだろうけど。

職業に貴賎はないと言われる。
僕もそう思う。
ほとんどの人がそうだと答えるだろう。
貴賎てなんだろう。
辞書でひくと、
「貴い◃こと(身分の人)と賤(イヤ)しい◃こと(身分の人)」
と出てくる。
要するに、職業においては、社会的に貴い、賤しいの区別はなく、また働いている人の身分も貴い、賤しいの区別はない、そういうことだ。
でも、現実は、果たしてそうなっているのだろうか。

東大を出て、僕のような清掃員になりたいという人は、恐らくいないだろう。
最近は、東大に限らず、大学を出て芸人になる人も多い。
これなどは、芸人の社会的地位が昔よりも格段に上がってきたからだ。
タクシードライバーなどは、昔から社会的地位は低く見られていた。
裁判官が判決で雲助と呼んで問題になったこともある。
最近は、大学新卒のタクシードライバーを採用している会社もあるが、その目的のひとつは、そうして社会的地位を少しでも高めることだ。

少し前に映画「パーフェクト・デイズ」が話題になった。
僕は見ていない。
予告編を見て、「THE TOKYO TOILET」の宣伝みたいだなあと感じたことと、キャッチコピーの「こんなふうに生きていけたなら」に、何となく違和感を感じたからだ。
さらにあらすじを見て、主人公が実は資産家の御曹司らしいことを知ると、ちょっと思ってたんと違うなあとなった。

「こんなふうに生きていけたら」、しかし、全国のトイレ掃除に携わっている人の何パーセントが、望んでその仕事をしておられるだろうか。
何パーセントの人が、いつ辞めたって困らないくらいの資産を抱えてその仕事をしておられるだろうか。
「THE TOKYO TOILET」の清掃員の給料は知らないが、全国の清掃員のほとんどは、それほど高くもない給料で、もくもくと働いておられるに違いない。
もちろんこのコピーの意味するところは、私もトイレ掃除をやりたいとか、資産を抱えて、組織を離れてのんびり過ごしたいとか、そんなことではないのはわかる。
自分の人生を受け入れて、日々の何気ない幸せを噛みしめて生きていこうと、恐らく想像するにそんなことだろう。
もちろん、僕は見ずに勝手なことを言ってるだけだれど。

トイレ掃除と言えば、濱口國男のこんな詩を思い出す。
少し長いが、食事中を避けて、ぜひ読んでみて欲しい。

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります

どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞におそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
落とすたびに糞がはね上がって弱ります

かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします

朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわってみます
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません

濱口國男「便所掃除」

貴賎はないと言われると、どうしても意識には貴賎が浮かぶ。
ピンクの象を思い浮かべないでくださいという、あれだ。
無意識は善悪を判断しない、そんな説もある。
それなら、
「職業に貴賎はない」
ではなくて、
「全ての働いている人をリスペクトしよう」
そうだ、リスペクトしていれば、少々のミスがあったって、怒鳴りつけることなんかできやしない。

最後に嬉しい話。
今朝、あるお父さんと男の子を見かけた。
男の子は小学生の高学年くらい。
見ると、ビニール袋をそれぞれが持って、中には空き缶やゴミが入っている。
気になって聞いてみた。
「おはようございます。今日は町内会かなにかのあれですか」
すると、
「いえ、天気がいいので近くを散歩がてら、この子とゴミでも拾おうかと」
もし親ガチャと言うなら、この子は当たりを引いたに違いない。

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