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26年前のあの日

今日は震災の日。

震災と聞いて思い浮かべるのは関西人としては阪神淡路大震災だ。
当時大阪から京都に通勤していた。

その日は早出で5時半くらいには家を出ていた。
途中で車が大きく横揺れした。
強風でハンドルを取られたのかなと思った。
何台かの車は路肩に止めてタイヤをチェックしていた。
パンクかと思ったのだろう。

しばらくするとカーラジオから、毛利千代子さんの地震ですという叫び声。
初めて地震だったのだと分かった。

業務を始めていると同僚から電話が入った。
「神戸の彼女のところに来ていて、朝イチで帰るつもりだったんですけど、
阪神高速が倒壊していて帰れないんですよ」

少しずつ被害の大きさがわかってきた。

神戸の街が燃えているらしい。

誰かがドアを大きく閉めるとみんなビクッとした。

当時はネットなどない時代。
携帯もまだまだ普及というには程遠い時代。

午後の休憩時間に、休憩室のテレビで燃えている街を初めて見た。
こんなことが関西で起きるなんて。

早朝に神戸まで顧客を迎えに行っていた社員から電話。
道がありません。

合間を見て自宅に電話をするがなかなか繋がらない。

帰宅すると、妻が当時2歳の娘を抱きしめていた。

翌日の朝にはカーラジオから道上洋三さんの声。
救援の車両が通れない。みんな興味本位で見に行くのはやめてくれ。

それから少ししてから、会社からボランティアの募集。
応募して、現地の医療スタッフの輸送の手伝いを担当した。

先々で炊き出しのボランティアの方がどうですかと豚汁などを勧めてくださった.
私たちもお手伝いですからと断ったが、断りきれずにいただいたところもある。
いただいた後、車の中で何故か涙が出て仕方なかった。

あれから26年。
妻は今でも言う。

あんたはあの時車に乗っていた、あんたと家にいた自分とでは揺れの大きさが違う。

確かにその通りだと思う。
しかし、あの日帰宅した時の妻と娘の涙は今でも忘れることはない。















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