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『東京23区最後の日』4

1話
2話
3話

4 時計回りの終末へ


 彼女は、大きな声を出そうとした。いや実際に出していたのかもしれない。もはや自分の声がどれなのか、わからないくらいに怒号に溢れていた。声が声を消してしまう。それはまるで彼女の存在そのものまで消してしまうのではないか。そんな恐れを彼女はだいた。
「通してください」
 間違いなく彼女は叫んだのだが、その声は彼女の耳には届かない。そうだ、同じようなことがあった。夢の中で、何かに追いかけられて、助けを呼ぼうとするのだが声が出せない。何を躊躇しているのだと自分に言い聞かせても、喉元まできた声は出て行こうとしない。叫びたい。大声で助けを呼びたい。今、ここで叫べばきっと気持ちいいはずだ。そうしてもがきながら目が覚める。背中は気持ちの悪い汗で濡れている。そう、その時と同じだ。叫んでいるのに、大声を出しているのに、その声は、自分にすら届かない。
 小柄の彼女にはもう空も見えない。どこを向いても、人の胸や、お腹ばかりだ。上を向いても、誰かの顎しか目に入らない。倒れようとしても、満員電車と同じように倒れることもできない。彼女の小さな体ですら横たえる場所などもう残ってはいなかった。
 それに、ここで立ち止まれば、それはもう死を意味することもわかっている。歩き続けるしかない。それは、誰のペースなのか。後ろから押してくる人のペースなのか。あるいは、前を行く人のペースなのか。誰かが座り込んだ彼女を可哀想と思うかどうかはわからないが、そんなことは関係ない。誰も彼女を助けることなんかできない。歩くことをやめるのは、生きることをやめることなのだ。彼女を助けることは不可能だし、それをすることは自分も死ぬことだ。そんな勇気は誰も持ち合わせてはいない。それを勇気と言うのかどうかはわからないが。
 怒号。しかし、誰も自分が何を叫んでいるのか分かってはいない。自分が叫んでいることすら自覚していない。声が声を呼び込み、声が声を消してしまう。それは、消された声であって、決して言葉などではない。もはや、言葉で何かを伝えるなど、無意味なことだ。
 無意味とは。彼女は足を引きずりながら考えた。無意味なこととは。言葉に意味がないのは無意味なのか。何か、人間のすることに意味がないとはどう言うことなのか。意味とは言葉のものではないか。人間の行為に意味がないとは、その行為を言葉として考えているからなのか。
 彼女は自分が大きな空白の中に取り残されているような気がしてきた。そこは、日記の新しいページのように白く、広大だった。その広大なページに綴る言葉を彼女は持ち合わせてはいない。書くべきことはわかっているのに、そのページを撫でることしかできない。
 その時、彼女の胸に、再び声が沸き起こってきた。言葉とともに、さらには、その言葉通りの意味を持って。
「生まれそうなんです」


 最初に渋谷のスクランブル交差点がストップした。
 人で埋め尽くされて、しかも四方八方、あっちへいく人、こっちに来る人がぶつかり合い、身動きが取れなくなってしまった。
 そして、その人の塊はどんどん膨れていった。
 当初は誰もが、毎年のハロウィンや、4年に一度のワールドカップの夜程度に考えていた。明日の朝にはみんな散り散りになるだろう、みんな解散して、後にはゴミと汚物の散乱した無惨な街並みが残るだけだと。そして、日本人のマナーの低下をワイドショーで、私こそが庶民、私こそが平均、そんな顔をしたお金持ちのコメンテーターが嘆くのだと。
 地方では、こんな東京の状況を冷ややかに見ながらも、それが、そんな盛り上がりが自分たちの地元では一切ない、年に一度の夏祭りといえどもこれほどではない、まして報道もされない、そんな妬みの裏返しであることを薄々気づいている。明日にはそんな朝を迎えるのだと、誰もが思っていた。
 別にイベントがあったわけではない。
 ただ、ここ最近、人の流れが多くなったとはあちらこちらで囁かれていた。
「毎日通っていて、毎日増えたなあって思うんだから、相当だよね」
「いつか満員になるよね、渋谷」
 しかし、この時の「いつか」は、
「いつかまた食事でもご一緒に」
 の「いつか」だった。つまり、半永久的にやってはこないはずの「いつか」だった。
 そこに、こんなに早く具体的な日付が書き込まれるとは、誰が想像しただろうか。
 さらに、その止まった人々は車の流れも遮断した。その交差点を先頭に車が渋滞し始めた。何も知らない車が後から後から押し寄せてくる。
 それが翌朝になっても続いた。日が暮れて、次の日の朝になっても状況は変わらない。むしろ悪化していた。スクランブル交差点の真ん中で、立ったまま人々はその日々を過ごした。
 食べ物を持っている人は、お互いに手渡しで分け合い、飢えをしのいだ。やがて、その食料も底をついた。

 駅には人が溢れた。電車の中からホームまで人は続き、ドアを閉めることなど不可能だった。当初は駅員が車両にしがみつく人々を引き離していたが、後から後から押し寄せる群衆に、いつの間にか駅員の姿も見えなくなった。いつまでたっても発車しない電車に業を煮やした人々は線路を歩き始めた。ただ、そうして歩き始めた人々は、山手線ほど内回り外回りが区別されてはいなかった。あちらこちらの線路上で人々はぶつかり合った。ぶつかり合って、こちらが引こうとしてももう無理だった。後ろからどんどん人の重みが伝わってくる。伝わってくると言うのは、もう振り返ることもままならなかったからだ。
 首都高をはじめとした高速道路、有料道路も、動かない車の隙間を人が埋め尽くしている。そして、埋め尽くした人が動けないのは、ここも同じだった。
 一般道路や国道も同じだった。甲州街道、青梅街道、新宿通り、昭和通り、靖国通り、いちいちあげるまでもない。もはや、どこが道路でどこがそうでないのか、わかる術もなかった。隅田川や、荒川や、多摩川や、江戸川や、あるいは中川でも、洪水になれば水が流れ込むようなところには、どこも人が流れ込んでいた。上から見れば、黒い人の頭で埋め尽くされている。もちろん、黒くないところもある程度は見られるが、それが人の頭であることには変わりはない。
 勝鬨橋から溢れた人が隅田川に落下しているという、どこからともない情報を得て、政府は慌てた。一説には、それは人のかたまりの中で飢え死に、もしくは圧死した人を、誰かが投げ落としたのだと言われてもいた。
 壁は失敗だったのではと言われ始めた。それが大きな批判の声に繋がる前に政府は発表した。
「移動はすべて時計周り」
 人々は時計回りに歩き始めた。23区を囲む巨大な壁の内側で、皇居を中心に時計回りの人の渦が生まれた。その歩みは、一歩ずつで決して早くはないが、これによって人の流れがぶつかり合う障害は解消することができた。ただ、その歩みがどこかに到着することはない。その流れから逃れることも叶わず、ただ一歩一歩歩き続けるしかなかった。時々、隣の人はもう歩いているのではなく、前後左右の人に挟まれて運ばれているに過ぎないことに気づくこともあった。

つづく

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