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こんにちは。本日は、西林克彦さんの『わかったつもり』を取り上げたいと思います。

文章がよりよく読めてきたとか、よりよくわかったという気がするのは、文章の部分間の緊密性が高まることによってなされます。

1、文章や文において、その部分間に関連がつかないと「わからない」という状態が生じます。

2、部分間に関連がつくと、「わかった」という状態になります。

3、部分間の関連が以前より、より緊密なものになると、「よりわかった」「よりよく読めた」という状態になります。

4、部分間の関連をつけるために、必ずしも文中に記述のないことがらに関する知識をまた読み手が作り上げた想定・仮定を、私たちは持ち出して使っています。

浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だからなのです。

「わかったつもり」は後から考えて不十分だというわかり方

「わかったつもり」がそこから先の探索活動を妨害します。

◯スキーマ

一般的にあることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとかたまりの知識を特に認知心理学では、「スキーマ」と呼びます。すなわち、何の話か示唆されると、どの「スキーマ」を使えばよいかがわかるので、それを使って文章を処理していけます。「何の話かがわからなければ、話がわからない」のは、どの「スキーマ」を使っていいかわからないためです。

◯活性化

全体の知識の一部分にスポットライトを当てて使えるようにすることを「活性化」と呼びます。「何の話」かといった話の内容に関する指示や示唆は、ある「スキーマ」を「活性化」させます。例えば、凧の話だと知らされることで、凧の「スキーマ」が「活性化」されその結果、読み手を文章の処理に向かわせることになります。

3 文脈

文脈とは、「物事・情報などが埋め込まれている背景・状況」なのだと考えて下さい。「凧を作って揚げる」という「文脈」を示されると、私たちは無意識にほぼ自動的に凧に関する「スキーマ」を活性化して文章の処理に当たり、その結果部分間に関連がつき、わかるようになります。

1、文脈がわからないと「わからない」

2、文脈がスキーマを発動し、文脈からの情報と共同してはたらく

3、文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す

4、文脈が異なれば、異なる意味が引き出される

5、文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで文がわかる

文章における「全体の雰囲気」というのがこういう魔力を持っています。「全体の雰囲気」に都合のよい「意味を引き出し」てしまうのです。部分の読みが曖昧だったり間違っていたりしているので、間違った「わかったつもり」が成立してしまうのです。

読み手が自分の持っている「ステレオタイプのスキーマ」を文章に簡単・粗雑に当てはめてしまうことによって、間違った「わかったつもり」や不十分な「わかったつもり」の状態を作り出してしまうのです。

普通の文章なら、私たちは読めばまず、「わかった」状態になります。「わかっている」と思っているけれど「大雑把」、これが通常私たちの一読後の状態です。

すなわち、私たちは一読後はまず、「わかったつもり」の状態にあるのだということを認識しておいてください。

①自分は「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだと、明確に認識しておくことが必要です。

②文章を読んで概略や解釈を述べるときに「当たり障りのないきれいごと」がでてきたときに要注意、そのときは「当たり障りのないスキーマ」を意識しながらそれが本当に文章の該当部分に適用できるのかと疑い、記述にあたるようにしてください。

③文章を読んで、「矛盾」や「無関連」は次の「よりわかる」ための景気にもなります。「わからない」状態の克服は、「矛盾」を引き起こしている部分間にまた「関連のついていない」部分間に関連をつける作業によってなされます。

④整合的であれば、複数の想像・仮定・すなわち「解釈」を認めることになります。間違っていない限り、また間違いが露わになるまでその解釈は保持しておいても問題はありません。

⑤ある解釈が周辺の記述や他の部分の記述と不整合である場合には、その解釈は破棄した方が良いでしょう。



「わかったつもり」の状態

→新たな文脈による部分からの新しい意味引き出し

→引き出された意味による矛盾・無関連による「わからない」状態

→新たな無矛盾の関連付けによる「よりわかった」状態

このサイクルを続けていれば、より深い「わかった」状態に近づくことができるようになります。





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