見出し画像

私の大失敗人生を振り返る(前編)おもろ哀れで笑えます・・。

余命いくばくもないっぽいので、いろいろと人生を振り返ってみた。
そしたらけっこう酷いというか、自分でも笑えるほど哀れな人生だったので残しておこうと思う。
「私かわいそうでしょ!」というつもりはなくて、
「その都度人生の選択を間違えてんな、お前」
という感じだ。けっこう笑える人生だ。

出生:貧乏人の家に生まれる

別にそのことはいいというか仕方ないし、
不仲ながらも精一杯両親は働いてくれ(あまり)不自由なく育ててくれたのだが、自己肯定感の低い母親から、自己肯定感の育ちにくい教育を受けながら成長。これは後々までダメージが残る。
今となっては、恨んでいるわけではなく、
「親も、親をやるの初めてだし、シロウトだものな。しかも第一子だし」
と諦めながら受け入れている。

小学低学年:暴力教師のいるクラスになる。

卒業してからも、大人になってからもしばらく、「教師の体罰発覚!」とニュースが出るたびに、あいつじゃないか!?とニュースの名前を確認するほどの、暴力教諭K藤の担任クラスとなり、とにかく1週間に1回くらい殴られていた。
 ついに友人3人と教頭に訴えに行ったというのを振り返ると、(その年にK藤は転勤したので意義はあった)今の「間違ったことを黙っていられない」という、会社生活ではとても損をする性格の発端が既に垣間見える。

小学生の高学年: 下顎前突症発症

早い話が歯の噛み見合わせが上下逆になり、受け口になってしまう病発症。
(「今も名残あるね」とかは言わないで、そこのアナタ)
小学生の残酷さってとにかく容赦ないわけで
「アントニオ猪木!」などとからかわれる。
その時は全然メジャーじゃない「矯正歯科」に通院を始める。
高額な医療費がかかったと思われ、本当に親がかわいそうだった。
しかし、当時、口に金属を入れている小学生は珍しく、それもあって更にいじめにあう。口を開けたくないので、当然無口で暗い子供になる。

中学校:頻尿症と部活のいじめ

小学生の頃の口の矯正具によるからかいの影響か、メンタルがやられ頻尿症になる。
何処も体は悪くないのに、常に尿意を感じてしまうという病気だ。
 授業の拘束時間や学校自体が怖くて仕方がないが、根がまじめなので休まず通学する。
卓球部に入り、2年の夏に、顧問から次期キャプテンに指名されてから、
3年生からのいじめが始まる。
3年生クラスのフロアに近づくと恐怖で体が動かなくなるほどだった。
3年になり、今度は逆に部活の顧問による溺愛が始まる。
顧問が英語教師のため、授業中もやたらと指名してきたりし、
周囲からは訝しがられる(別にセクハラ的な動きも何もないので、今でもあれは何だったのかわからない。)
実力のともなわないキャプテンであったので、部活でも苦労する。
授業も部活も苦しかった。
それでも通わないといけないという義務感だけは強かったようで、3年間皆勤でおえる。
(逃げてはいけないという強迫神経症なところが現れている)

高校生:ひたすら勉強する

中学生活でしっかり部活と人間恐怖症になったため、部活にも入らず
ひたすら帰宅して勉学に励む。
勉強だけが自己実現の方法だった。(ああ、かわいそうなヤツ)
おかげで、3年間ほぼ学年トップの成績で通す
家を出たかったため、関東圏の国立大学に進学する。

大学生:高校の担任に襲われそうになる

関東圏に一人暮らしを始めた春、高校の担任が
「研修で東京にでるので、ご飯を食べよう」
といわれて出向くと、ホテル1階のレストラン。
食事後、部屋まで無理やり引きずられて(まじで引きずられていた)、押し倒されるが、
「高校に言いつける!」といってスキが出来た時に、脱出。
今なら平気で犯罪だし、SNSの餌食だ。

大学生:ヤリ手ババアにひっかかる。

部活恐怖症は完治していないためサークルという華々しいものにはやはり入れず。
なんとか授業とアルバイトで、大学ライフらしさをエンジョイしていたが
アルバイト先の家庭教師の家のおばはんに言葉巧みに年上の医者との交際を薦められ、他に相手も居ない上に自己肯定感が低く、同い年では誰も付き合ってもらえないと考えしぶしぶ承諾。
 このあと数年が、異様にリッチなのに、本人はあまり嬉しくないという不思議なエピソードがてんこ盛りとなる。
・免許をとらせてもらってる途中、練習のために、医師が所有しているフェラーリに「仮免許運転中」と貼って、深夜の横浜を走り回る
・パリのエルメスで「好きなものを買ってあげる」と言われたのに、「あれをもらおう!」と店の隅に展示されていた乗馬の鞭を買い、彼氏と店員をあきれさせる。
・ベンツをパリで買って、ニースまでドライブ旅行をし、そこから船に乗せて日本へ発送、人間はモナコグランプリをみて飛行機で帰る というようなリッチなのにオタクな旅行をしていた。
・大学にはほとんど行ってない。
 この時に「ブランドもの」の虚しさを知り、全て売り払い今は何も所持していない。
      続く
人生前半を振り返るに、「女友達と遊ぶ」「楽しく何かに熱中する」という経験が欠落して、「とにかく人生大変」と思いながら生きている。子供ながら「いつまで生きなきゃならないんだろう」と思っていた。とにかく暗い。
既に男運の無さというか、異性関係がうまくいかなくなる土壌が生成されている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?