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借金について

入社した頃、上司にちょっとしたお酒の勢いで「うち借金まみれなんすよね」と漏らしたことがある。

私はその時の上司の言葉が今でも忘れられないのだ。

「借金と言ってもローンと奨学金ぐらいでしょ?」

衝撃的だった。それが普通の感覚なのかと。

実際のところ普通の感覚というのがどれくらいのものかよくわからない。私は裕福な家庭に生まれたわけではなかったものの、私大の理系学部を卒業し、弟も私大の文系学部を卒業した。ちなみにこれだけで借金(奨学金)が1000万になる。

家を買うのに3000万(ローン)ほどの借金をしているから、これで上司の言うところの「ローンと奨学金」が4000万だ。ローンも奨学金も全額残っているわけではないからある程度低くなるにしても、なるほど、確かにこれだけでもかなりの額になる。

それにうちには犬がいて、これがまたものすごく難しい病気をした。ほぼ治らないと思われた手術に3桁万円を払い、奇跡的に回復した。

この他にも受験する時や、塾に行かせてもらう時や、何やらで他にも借金はたくさんしている。

親に初めて通帳を見せられたときは本当にびっくりしたのを覚えている。今でもあの不安感は忘れられないだろう。こんなに借金できるものなのかと。。。


ただ少し考えて欲しい。これは悪い借金なのだろうか?

やれ、いくら貯まってから結婚しようとか、貯金してからなんとかってよく耳にするが、借金すればという話は滅多に聞かない。

おそらくは借金というものに対して悪いイメージがあるからだろう。

しかし、借金というものがなければ、私や弟は大学で学問を修めることはおろか、受験することもできなかったはずだ。我が家の愛犬も助からず、家も持つことはできなかったに違いない。

幸いにして、私も弟もそこそこ良い会社に勤めることができている。何より社会的に意義のある仕事に勤めることができているということが、私の人生にとっても非常に意味のあることとなっている。

借金についても返すこと自体は大したことではなくなっているのが現状だ。

しかし、これは全て借金をすることができたからにほかならないのだと私は考えている。

もちろん、借金をするだけの信用を得ていた両親への尊敬と、借金だけではどうにもならなかったために、私達の為に非常に倹約してくれていたことに対する感謝は忘れてはいけない。

私が所属する草野球チームに80代のおじいちゃんがいる。彼はとても頭が良い人なのだが、高校までしか出ていない。なぜか。

それは、父親を戦争で亡くしており、父親もいない人間に誰が信用してお金を貸すのかという話だった。

戦後まもなくの話であるから当然であろう。

でもその人は高校まで出してれた母親にとても感謝していた。息子達には大学まで出て欲しいと必死に働いて、稼いで、2人の子供達は無事に大学を卒業し、飛行機のパイロットになったと嬉しそうに話してくれたことは今でも忘れない。(ちなみに彼はまだ生きています。念のため。)

もし、彼の家にお金を貸してくれる人が現れたら、おそらく大学を卒業し、別の人生を歩んでいただろう。それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。しかし、少なくとも選択する権利を得ることができたはずだ。

この差は大きい。

日本学生支援機構の奨学金に対して愚痴を超えたことを口にする人を頻繁に観測する。日本学生支援機構の利率は何%か、もしかして知らないのだろうか?自分で使った分を自分で返すというのは当然の真理である。なぜ感謝ができないのか。

もちろん、理想は行政によって、このような借金を背負わずとも、より広い範囲の人間が大学に行けるよう制度を整えてもらうことである。ここに文句を言うことに関してはまともであると思う。

(こういう文句を言う人が選挙に入っていないという話を聞くと、頭がおかしいのではと思わざるを得ないのだが、ここでは黙っておく。don't boo voteである。)

話が逸れつつあるので、強引にまとめる。

父はいつも言っている。

「借金は死ぬまでに全部返せればそれでいいんだ。お金は墓まで持っていけないからね。」

これは真理だと思う。

下手にお金をためてチャンスを逃しているよりは、借金をしてでもチャンスに挑んでいく方が何億倍もマシだと私も思う。

もちろん健全な借り方をしなければいけないということは言うまでもない。

父の言葉を借りれば、借金もまた墓までは持っていけない。

死ぬまでにはちゃんと返そう。

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