マズローへの挑戦状② じゃんけん理論

2022/11/13/Sun


事情探偵神原右京のマズローへの挑戦状 第二夜


じゃんけん理論


うおっほんうおっほん、事情探偵神原右京こと田村Mark和です。

今宵はじゃんけん理論について推理しようではありませんか。


この世には

グー、チョキ、パーの三タイプの人間がいます。

グーは平凡に堅実に日々を歩ける人。

パーはグーの中でも特に優れた人で、リーダーや社長をやるような人。

チョキは天才ではあるものの、生活力は少なく、人生に挫折しやすい人。少ない確率で成功すれば莫大な成功を収める。現代日本においては大半が引きこもっている。


普通の親は子供にグーであれと願う。平凡な生活を願う。

チョキでも努力すればグーの中でも下の方でぎりぎりやっていけるかもしれない。それでもチョキは辛い人生である。チョキに該当した人はかわいそうである。チョキは生きづらかろう。傲慢な自負心と、辛い劣等感を併せ持っている。ドイツの軍人ゼークトの「ゼークトの組織論」で言う無能な働きものがこのチョキに該当するだろう。


パーの中でも最上位はチョキがわかる(チョキの人がここまで上り詰めることもある)。なので一番いいのは、グーはパーの言うことを聞き、パーはチョキの言うことを聞き、チョキはグーの言うことを聞くと循環して世界は平和なのだが、これがなかなか難しい。チョキはグーの言うことを聞きたがらないだろう、というかドロップアウトしてしまっている。パーが弱者であるチョキの言うことを聞くことは基本的にはないだろう。かくして世界は歪なままである。本当は挫折も経て優しさもあるチョキの視点を取り入れることで、世界はいい形におさまるのだが。


社会で活躍している人の中にチョキがどの割合でいるかも、世の中の先進度が図ることができると思う。昔の日本はもっと多くのチョキの人が上まで登れていたと思うが、現在ではほとんどがドロップアウトして引きこもっていると思われる。人材を活かせない国になっている。


私は自分はチョキだと思う。グーの中で下にいてついていくのも難しく苦しい。また独自の発想に溢れているので、変なことをしてはかき乱してしまう(長年の修練でだいぶ改善されてきてはいるが)。チョキの人の生きる道はどこにあるのか・・・。


勝手に想像してみる

①    世の中の常識の法則に合わせる(まあ、これがチョキには苦しいんだけどね。チョキは真理派だから・・・)。グーに徹してなんとかくらいつく。

②    開き直って、出る杭はうたれるけど出すぎたら打たれない、を目指す。吉田松陰や孔子やソクラテスのように自分の道を貫いて仲間を集めて一大勢力を作り、「先生」とパーから呼ばれる人物になる(これもこれで非常に狭き門で困難だろう・・・)。芸術家とか死後に評価された人も多いだろうなあ(評価されなかった人はもっと多いだろう)。


やはりこう考えるとどちらも難しいね。やはり社会からドロップアウトして引きこもるのが一番賢い最適解かもしれない。

他力になっちゃうが、社会がそういうチョキが生きられるように容認して、許容できる社会や会社をつくるようにするのが全体の幸福には必要な気がする。昔の日本みたいに(イメージですが)。



ゼークトの「無能な働き者」について書いたものを参考にすると・・・

①  自分が求めれている仕事を認識する

②  その上で優先順位をつける

③  迷ったりわからないときは上司に指示を仰ぐ

④  謙虚にアドバイスを受け、ミスを人のせいにせず改める

⑤  プライドを捨て人を頼る


何でも無能な働き者は無能なのが問題なのではなく、勝手に動き回る、行動力がありすぎるから問題を起こすのだとか。反対に無能な怠け者は、言われたことしかやらないので問題は起こさないのだとか。ということは言われたことだけできるようになれば、無能な働き者を脱することができるのか(まあこれがなかなか難しいのがチョキなんだけどね。どうしても余計なことまで視界に入れたがる・・・)。けどできないことをやるのは難しいけど、できることをやらないようにするのは物理的には可能だ。このコツを掴めるとグーとして生きて行けるのかもしれない。


まあ俺の場合は、

地に足をつけた生活を、ってところかな。

だけどそれだけじゃもの足りないから、少しだけ趣味のこともやるって感じかな、俺の場合の調度いい落としどころは。

今日はブログをやりすぎてしまったね・・・。

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