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その価値を決めるのは、誰?

5/5 こどもの日、皆さんはどう過ごされましたか?我が家では「映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」を子供と観てきました。

このお話、ある日突然 野原家に見知らぬ母子が訪ねてきて、告白します…「ウチの子と、お宅の子(しんちゃん)は、病院のミスで取り違えられたんです…」と。〝実親探し〟や〝産院の取り違え〟をテーマにした作品は、これまでも小説・実写映画でも沢山ありました。今もなお用いられるのは、それだけ多くの人の心に響くテーマだからでしょう。数十年前に起きた実話の影響も大きいのかもしれません…

しんちゃんは5歳。五年間を一緒に過ごした我が子が、実は他人の子だった と聞かされたら…もしも、この局面に自分が立たされたら…と想像すると、ちょっと胸が苦しくなります…(・_・;


ふと、あるパラドックスを思い出しました。ギリシャ神話に出てくる『テセウスの船』

かつてアテネで、大切に修理・保管されていた同船。腐った部分があれば新しい木材と取り替えられ、長年にわたって修繕を繰り返しながら大切に保管されていました。

ところが気づけば当初の船の木材は全て取り替えられ、ついにテセウスには元の木材がゼロに。元々使われていた木材部分が1ミリたりとも残っていない状態になってしまった。。


この状況で、A氏は言いました。元の木材が残ってないのだからこれはテセウスではない。

それに対して、B氏は反論します。テセウスとして保管されその目的で修理が繰り返されてきた以上、これはテセウスだ。と


ここで負けじと、A氏は思い切った反撃にでます。

これまでに取り替えられ外されてきた、朽ちた元の木材だけを使って、なんと、もう一つのテセウスを復元しまうのです。(゚o゚;;

そしてA氏は主張します。元々の木材で復元されたこちらこそが真のテセウスであり、修理を重ねた(元の木材ゼロの)テセウスはレプリカに他ならない。


こうして存在してしまう ふたつのテセウス。

A氏・B氏、果たして どちらの主張が正しくて、どちらのテセウスが本物なのでしょうか?

あなたならば、どう考えますか?


この問題の答え。

それは…「A氏・B氏、どちらの主張も正しい」 です。

なぜならば、「何をもってして、本物のテセウス
と考えるか?」

その人の目的や価値観・基準の違いによって、どちらが本物かの答えが変わってくるからです。


テセウスを遺そうという目的で修理・保管してきた人にとっては、(元の木材が残っていなくても)そのテセウスこそが本物でしょう。

でも例えば、考古学者が、歴史的な観点でテセウスを調べるとするならば、元々の木材だけを使って復元されたテセウスこそが本物としての価値を持つはずです。


このエピソードは、マーケティング視点でも重要で、示唆に富んでいます。

つまり、モノやサービスの価値というのは、提供する側の意図とは関係なく、受け手側の目的や価値観・基準次第で、いくらでも変わりうるということ。基本かつ重要でありながら、時に忘れられがちな真理です。。


あなたにとってのテセウスは、どちらですか?

最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

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