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部門間格差について向き合ってみる

会社の組織を見たときに、いわゆる花形部署という部門があったりします。
売上をバンバン稼ぐエリートの営業部門とか、時代の先端を行く新商品や新技術を開発する羨望の開発部門とかみたいな。
そうした花形部門の存在することに別に異論はないのですが、そうではない縁の下の力持ち的な部門も存在するのが会社というもの。
そんな部門間の「格差」について向き合ってみたいと思います。

花形部署ってどんな部署?

私が経営している会社は通販会社です。
一般的にイメージされる通販会社の花形部署と言えば、例えば商品開発だったり、広告企画と思われる方が多いようです。

新卒採用においてのインターンとか説明会の集客をする場合も、
やはり通販会社の商品開発入門とか、広告企画体験的な内容の方が人は集まりますし、
そうした職種に興味を持っている学生が圧倒的に多いのは事実です。
人事としても採用活動においては母集団形成は大事な指標ですから、
こうしたコンテンツで企画します。
まちがっても「通販会社の管理部門の未来」なんてテーマは採用活動ではしませんし、
同業者にとってもさほど関心が高いテーマではないと思われます。

実際に売上をあげる役割の部署は社内でも評価が高まるのは分かりますし、
新しい事業や商品を開発している部署というのも未来を担っている感があります。
会社や業種によって様々だとは思いますが、
業績や成果に直結した部署というのはやはり花形部署的な位置づけになりそうな気が致しますね。

そんなイメージが社会にもありますから、
通販会社の場合でも、
商品開発や広告企画といった部門に配属された社員は、なんとなく抜擢された感というか、
期待されている感を感じることもあるわけです。

しかし、なんですよね。

いや別に期待されていると自認することは構わないのです。
それで本人のモチベーションがあがるのなら、それはそれでいい。
しかし、そうではない部門に、
本人の希望の有無に関わらず配属されたりした人の場合はどうなんでしょう。
なんとなく期待されてないのかも感が生じてしまったりというのも、
会社ではよくある話だと思います。

人事の話というのは、そういう「ドラマ」もあるので、
なにかと噂やゴシップになったりしてしまう。
そうなんです。
この噂やゴシップが問題なんですよね。

会社経営をしている立場からすると、
エース部署とか花形部署といった扱いは実は結構難しいのでは?と思います。
経営者によって性格というか、組織観によっては積極的に活用する人もいるかもしれません。
敢えてそういう環境を作ることで組織を活性化することもあるかもしれませんから。

花形部署は誰が決めてるのか?

明確に花形エース部署を設定し、その部署を目指して切磋琢磨して競いあう。
字面だけ見るとなんか格好いい感じです。
でも、めでたく配属されても、
その中での競争も激しく常に緊張感に満ちた仕事の仕方を求められるようなこともありそうです。
憧れて配属されたものの、その仕事の厳しさや周りのレベルの高さに圧倒されて
かえって自信をなくしてしまう。
ドラマのような話ですが、実際の会社の話として耳にすることは少なくありません。

刑事ドラマだと花の捜査一課で正義とブライドをかけて事件を解決しようとしても、
管轄や他部署と事件の主導権や縄張り争いに翻弄されたりするシーンはよくみます。

医療ドラマだと外科と内科とどっちが治療を受け持つか、ひいてはどっちの格が上かを争い合う、なんてシーンもみたことがあります。

本質とは別にどっちの部署が格上かを争いあう構図にみえてきます。
なんだか自分達が格差を作りたいかのようにも思えてきてしまいます。

そしてこうした組織の格差をドラマで見ていると、
実際にその格差を意図的に扱って成果を上げるマネジメントは存在するのかと想像してしまいます。(本当にあるかどうかは知りませんが)

一方、そうした組織とは異なる組織を見聞きすることも実際に増えてきました。
そうした対抗心を必要以上に煽って、互いに鎬を削り合う環境に違和感を感じるという人もまた一定数いるわけで、しかも時代的には増えてきているのかもしれません。

ドラマの話を繰り返しますが、
交番勤務の婦警さんと捜査一課の男性刑事が力を合わせて捜査している警察ドラマだったり、プライドの高いお医者さんたちに対して、格下とみられている技師たちが医者と協力してチームワークを育み発揮して高度な治療していく医療ドラマもありました。(そう言えばどちらも原作がコミックですね)
もちろん同僚間での切磋琢磨もありますが、力点としてはチームマネジメントに向いているドラマが増えてきた気がしています。

私がそうしたタイプの組織を好む気質であり、そうしたバイアスがかかっているのかもしれませんが、一昔前ではあまりなかったストーリーだよなあとは思うわけです。
時代が変わって来たんですかね。

栄転と左遷!

閑話休題。

花形部門と地味部門があった場合、花形に異動となれば栄転。花形から異動となると左遷といいます。
個人的には嫌な言葉だなあと思ってしまうわけです。
異動を最終的に決断する社長の思いとしては、
いわゆる花形部門の職種に適性があると期待したから、そこへ異動してもらうのであり、
いわゆる地味部門の職種に適性があると期待して、そこに異動してもらう、
というのが私の考え方です。
そこには栄転も左遷も考えていません。
その人に適性を発揮してもっと活躍してほしい、
或いはこれを機会に新たなスキルや視点を磨いて、さらに活躍してほしいわけです。

もちろんその結果、会社の短期の業績も上げたい。
しかし、適性の発揮や異なるスキルを身に付けてもらうことで、
長期の業績も上げていきたい。
というよりも、
社長としては会社の業績を短期にも長期にも上げることを第一に異動を考えて決めると思うんですよね。

人事のゴシップはNO!

栄転も左遷は、周りが勝手にイメージして作るゴシップでしかありません。
どちらも期待のみです。
適性やスキルの他にも、人間関係や相性といった理由で部署異動も確かにあります。
しかし、それも本来の適性やスキルが相性によって発揮されないのは、
本人たちにも不幸だし、会社としてももったいないからで、
やはり期待をもってするものです。

こうした思いで人事を考えているにも関わらず、
「花形部署に栄転ですね!」
「地味部門に異動ですか?(もしかして左遷されたの。。。。)」
というセリフが飛び交うのは本当に勘弁してほしいのですよ。
会社内の噂やゴシップというのは、
だいたいにして人を傷つけたり、調子にのせたりで面倒になるだけです。
トップとしては本当に迷惑この上ないんですよ。

部門間の賃金格差

花形部署と地味部署が出来る理由にはイメージ以外にもうひとつあります。
給与体系が異なる場合です。
専門職と総合職が分かれている必要がある会社、業態もありますので、
一律に反対しているわけではありません。
しかし小さな通販会社の場合は、私のこれまでの経験からすると、
そこまでの専門性はあまり感じていないというのもあります。というのも高度な専門技術は外注してしまうからです。
まあ、うちが特殊なだけかもしれませんが。

業種や会社によって様々かもしれませんが、
同じ会社内でも職種によって給料体系が大いに異なることは珍しくはありません。
理由として思いつくところでは資格の有無なども当然あります。
人材不足で高給にしないと人材を確保できないことも理解してますので、
そのことを否定するつもりもありません。
しかし、社内で部門間に明らかな賃金格差を設けるのは、チームワーク的には作りづらいなあと私は考えています。
特に小さい会社ではなおさらです。

なぜかと言うと
思ってもいなければ作ってもいない部門格差を勝手に想像して、
栄転だの左遷だの、
だれかが贔屓されているだの、誰かは嫌われているとかのゴシップで会社の空気を悪くしないで欲しい、
ということだけなんです。

こういう格差によって生じる社内の人同士のほころびが、後々に大きな組織における対立要因となってしまうと、
結果として社長がその後始末に大変な苦労を強いられることになります。
下手したら会社を二分する派閥争いに発展するかもしれません。
私が一番嫌いな状態です。
そんな状態にならないために、
そして会社の空気がいつも穏やかであるようにと考えて、
部署格差を一切に否定しつづけ、それに基づき人事を行ってきました。

悪しき平等主義と思う方もいるかもしれませんが、
私はいがみ合う環境に耐えられないので、この道を選択しました。

これがいいことなのか、悪いことなのかは決められませんが、
少なくとも私にとっては、我が社は私にとってマネジメントしやすい組織へと成長してくれました。
そして、
売上も利益もきちんと伸ばし続けることが出来たこともお伝えしておきたいと思います。

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