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バランス感覚について考えてみる

バランス感覚。社会人はもちろん、社会のありとあらゆるところで使われる言葉に、バランス感覚というのがあります。バランス感覚に優れていると言われると、一般的には誉め言葉です。私自身でいうと、バランス感覚がいいと言われたこともあれば、逆に悪いと言われたこともありました。果たしてバランス感覚とはなにとなにのバランスを測って考えているのでしょうか?

バランス感覚とは

上にも書きましたが、バランス感覚がよいと言われると嬉しかった自分がいます。世間的にも誉め言葉と解釈されることが多いようです。

因みにバランス感覚という言葉は辞書には載っていませんでした。
元々のバランスとは均衡とか調和を意味する言葉ですから、考えた方に偏りがないという意味で使われるのだと思います。実際に用語として検索してみると、均衡や調和を取るための視野の広さや物事、社会を俯瞰してみることができるということのようです。

自分自身がそのように評価されるのだとすれば、それはそれで嬉しいのは確かです。しかし一方で私はバランス感覚が悪いと評された経験もあります。
ある人からはバランス感覚があると見られるのに、ある人からはないと見られている。異なるところで見方が変わるのならまだしもですが、この有る無いは実は常務時代に別々の社員から言われた言葉でした。
同じ会社のある人からはバランス感覚のある上司と思われ、別の社員からはバランス感覚がないと不満を持たれている。

つまるところ、これは私にはバランス感覚が足りていないということを意味しています。社員間で均衡が取れていないし、その違いを認識できていないということは社内を俯瞰して見れていないということでもあると考えられるからです。

こんなことがあったからでしょうか?
経営におけるバランス感覚とは、一体何と何のバランスを取るのがいいのかについて考え出しました。
細かな話ではあるのですが、こうしたギャップを見過ごしていると後々面倒なことが起こるだろうことが予測できるからです。

そこで考えたひとつの仮説。それはバランス感覚にはいくつもの観点があって、どのバランスを取り、どのバランスをスルーするか、というところにバランスの有り無しが生じ、評価にも違いが生じたのでは、というものでした。
具体的にいくつか観点の事例を挙げてみたいと思います。

観点1:リスクとリターン

リスクとは、果敢に挑めば大きな利益が得られる半面、見誤ると大きな損失が生じるものです。攻めるべきか守るべきか、どんな立場においても試案のしどころ悩みどころですが、経営トップのリスク判断は特に大きい判断になります。

これはリターンによって得るものとリスクによって失うものをどのように評価しているかによっても変わり得ます。
昨今大きく議論が分かれた(と私は思っている)感染対策による行動制限の政策は、感染予防の効果と経済への影響に関するそれぞれのリターンとリスクをどのように評価するかが問われた事例として考えられます。

これは最終判断する最高責任者がリスクとリターンをどのように評価しているかが問われるということです。大雑把に言えば、行動制限の緩和によって経済的なリターンを優先した国と、行動制限の強化によって医療体制の保護と国民の健康のリターンを優先した国に世界は分かれました。どちらにもリスクがあり、そしてリターンがあります。トップのバランス感覚が問われた場面だったと私は思っています。

しかし実際に私が感じたことは、バランスを過度に取ろうとするあまり、どちらのリターンも得られずに両方のリスクが目立ってしまいました、結果としてどちらにも大きなダメージが生じ、双方から批判される結末になったとも考えられます。いわゆる虻蜂取らずです。

こうして見るとリスクのバランス感覚を意識し過ぎるのも考え物だなとも思われます。

観点2:正論と感情

バランスを問う場面として、私は正論と感情という観点もあると思っています。
正論はその名の通り正しい論理なのですが、人間には感情もあって必ずしも正論が支持されるわけではありません。

財務が悪化した企業の立て直しにおいて、コストカットの施策は正論です。成功すれば財務状況は改善しますが、それによってリストラだったり担当部門の閉鎖が起こったりすると感情的には納得できないということが起こるわけです。

むしろ人の感情を傷つけるような正論は反発も大きくなりがちで、財務の改善以上の組織の崩壊や社員のモチベーションの低下が生じます。
かといって双方に気を遣ってバランスばかり重視すると、どちらにおいても中途半端な施策となってしまって、結果的に財務と組織の両方が破綻することもあり得ます。
この観点でのバランス感覚もなかなか難しいぞ、と感じてしまいます。

観点3:短期と長期

施策には短期的な効果と長期的な効果を目指すものに分かれます。
社会は目まぐるしく変わります。お金の価値も同様に上がったり下がったりします。
投資も含めて何かの施策を打つということは、その効果を期待して行うわけですが、施策によってすぐに効果が出るものと、数年後数十年後に効果がでるものがあります。コストカットだったり、売価の値下げなどはすぐに効果が出やすいですが、私は長期的にみたら失うものの方が多いと考えるタイプです。かといって長期的なことばかりに注力すると、目先のキャッシュは減る一方で会社の存続すら危なくなる。

当然トップとしては、短期と長期の両方の施策をバランスよく配分して、短期的なメリットと長期的なメリットを同時に行うわけです。しかしこれも上手く説明しないと、短期的な施策を担当する部署と長期的なものを扱う部署の間で軋轢が生じるケースが往々にして出てしまう。
どちらも大事で役割分担しているだけではあるのですが、下手にバランスを取って調和ばかりを目指すと、どちらも大した効果が得られず組織の崩壊が進んだだけの結果というのもありえそうです。
バランス感覚って本当に大事か?とすら思えてきます。

私は何が好きで何が大事と考えているか?

いくつかの観点を例にだしてみましたが、観点ごとのミクロでみると、あまりバランスを取り過ぎるのもどうか、という思いがしてきます。

むしろ経営トップはこうした観点を俯瞰的にみるのが大事なのではと考えました。

例えばリスクは取ることを厭わない、だが正論よりも感情を大事に考えている、そして短期的な成果より長期的な結果に注力することを優先している、ということをはっきりと打ち出すことがバランス感覚として大事だということです。

短期的にはリスク回避を優先するけど、長期的にはリターンが大きいものを大事にする。そのためには正論で物事を判断するよりも、人の感情を大切にして組織力を高める施策を優先して行う。
といったようなそれぞれの観点の扱い方のバランスを考慮して、それぞれの観点の中での対立軸は明確にどちらを優先するかを表明するというのが、バランス感覚なのではないかなあと思うのです。

そしてそれらの観点の優先順というか、トップが好きなこと、大事に思うことはどれかということを日頃からの言動で社員に伝わるように言葉にし続ける。自分の行動や日頃のジャッジで皆にも理解してもらえるよう務めました。

らしいですね!

何か判断した時に、「社長らしいな~」とか「社長ならそういうと思ってました」という反応が起こるというのは結構大事だと思っています。個々の人たちがそれぞれの案件に対する賛否があったとしてもうちの社長はこうするだろうから、そのつもりで覚悟しておこう、準備をしておこうと思ってもらえる状態を作るということです。
ちょっと格好つけた言い方をすると、社長のパーソナルブランディングとでも言いましょうか。

時に「意外でした」とか「今回こうするということは何か考えているのですか?」といった反応が来る、ブランディングからは意表を突く判断をすることもありました。
しかし、それはそれでよいことだと考えています。意表を突くということは何か特別な状況のようだ、何か新たに考えていることがあるのかも、と気づいてもらえることに繋がります。
反論や反対があったとしても、いつもと違うという前提を双方が分かっているで、議論が嚙み合いやすくなると私は感じていました。

社員が「この判断は社長らしい」と感じることの出来る社長自身のキャラクターや組織の風土を作ることが、社長のバランス感覚なのではと思う所以です。

社長さんに当たる人は、バランスが必要な領域はどんな観点で認識しているか?
リスクとリターン、攻めと守り、短期長期、正論と感情、他にも色々あるかと思います。
それらの観点の中でも、何を優先し、何を捨てるのかは社長の個性であり「らしさ」に繋がる話です。

トップのバランス感覚とは、つまるところ社長の「らしさ」が問われているのだなと考えること。
それを認識した上でバランス感覚というものを語ると、自分自身のスタンスも明確になるし、社員も賛否を含めて理解がしやすくなるのではないかと私は考えています。


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