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金曜日の随筆:【追悼】村田兆治氏

また運命を動かしていく金曜日がやって来ました。2022年のWK46、霜月の弐です。朝起きて、何気なくスマホを眺めていたら、突然ネットニュースで”マサカリ投法”で知られた、村田兆治氏(1949/11/27-2022/11/11)が亡くなったという速報が入り、心底驚きました。憧れの野球人の突然の訃報に、今も気が動転しています。

村田兆治投手

今週の格言・名言《11/7-13》

Keep a healthy relationship with your money built on love.
「お金との愛のある関係」を築いて生きよう

Everything begins from the heart.
すべては心から始まる

Masaru Ibuka, businessman/Japan
井深大(実業家/日本)

不可解な死

速報の時点で判明していたのは、今朝の未明に東京都世田谷区にある自宅が火事となり、二階の居間で遺体で発見されたというものでした。現段階(2022/11/11 22:00過ぎ)での記事によると、死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素中毒で、火傷などの目立った外傷はなく、部屋着を着て、座った状態で発見されたということです。火事の原因は、不注意による失火が原因なのか、はたまた…… という憶測が飛び交っています。

村田氏は、今年9月、羽田空港で空港職員への暴行容疑で現行犯逮捕されており、長年連れ添った奥様とは、別居状態だったということもわかってきています。精神的に動揺がある状況だったと考えられます。

野武士のように野球道を歩んだ人

村田氏は、東京~ロッテオリオンズ一筋でプレーし、現役生活22年(1968~1990年)で、通算215勝177敗33S、最多勝利1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回(通算2363奪三振)と輝かしい成績を残しています。名球会メンバーであり、2005年には野球殿堂入りもしています。誰もが認める昭和の日本プロ野球界を代表する名投手の一人だったと言っていいでしょう。しかもこの記録は、肘の故障によって、1982‐1984シーズンの三年間をほぼ棒に振った状態で残した実績ですから、驚きです。

左足を高々と上げる独特の投球フォームは、”マサカリ投法”と呼ばれ、常時140㎞/時を超えるストレートと、落差の大きいフォークボールで打者を抑え込んで来ました。40歳で現役を引退した後も鍛錬を怠らず、60歳を超えても130㎞/時を超える球速を維持するなど、超人でした。

村田氏には、ストイックで野武士のような凄味がありました。現役時代、自らに課していたトレーニングは凄まじいものがあり、その激しさに10歳以上年少の若手選手ですら、全く太刀打ちができなかったと言われています。

しかし、高卒ルーキーでプロに入った当時は意識が低く、不摂生だったという以下のエピソードは意外です。

プロ入り1年目の1968年は振るわなかった。当時はドラフト1位の契約金を持て余し、パチンコや麻雀など遊びに明け暮れていた。そのようなある日、徹夜の麻雀を終えて独身寮に朝帰りして来た時、日課のロードワークに出発しようとしていた小山正明と鉢合わせになる。その時既にベテランだった小山が、若手の自分よりも遥かに厳しい練習を自分に課していることに衝撃を受け、そのまま逃げるように自分の部屋に帰ってしまった。その後、練習中に小山に謝りに行ったところ、「お前ほどの才能がありながら、それを無駄にするのはさびしくないか」と諭された。球界を代表する大投手からの叱咤激励に感激した村田は、以降別人のように練習に打ち込むようになったという

Wikipediaより抜粋

村田氏と関わりのあった新旧の選手たちも、野球に対する真摯な姿勢と口数は少ないものの強烈なまでの野球愛、心・技・体全てにプロフェッショナルな態度には、こぞって尊敬と賛辞を述べています。野球人として、多大な貢献をした人である、という評価に疑問を差し挟む人は少ないように思います。それだけに、今年に入ってからの変調と突然の死には衝撃を受けている人が多いようです。

憧れの野球人が抱えた孤独

私は幼少期、野球に夢中だった頃から、村田投手のファンでした。所属したロッテの試合がテレビ中継される機会は少なく、スタンドで生で観たことはないものの、全盛期の頃の阪急ブレーブスの山田久志投手、近鉄バッファローズの鈴木啓示投手、西武ライオンズの東尾修投手らとのエース対決は、かなり見応えがありました。

加えて、肘の故障から完全復活を遂げ、”サンデー兆治”として脚光を浴びた1985年シーズンの活躍は、本当に圧巻でした。不人気球団であるロッテ一筋に歩み、引退する1990年シーズンにも10勝を挙げています。引退後も変わらぬ体形を維持し、とんねるず・石橋貴明さんとの対戦やプロ野球OB戦で、現役顔負けの投球を披露する姿に、「かっこいい!」と思わずにはいられませんでした。

群れない大人、一匹狼、昭和の男児…… 大胆不敵、豪胆なイメージの人が実際には野球以外での躓きに悩み、人知れず孤独感、辛さを噛み締めていたのかもしれません。享年72歳、合掌。心から、ご冥福をお祈りいたします。

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