息子と過ごした6時間
横浜は、もうすっかり夏でした。本日は約束通り、息子と電車旅。17時までの時間限定だったので、息子にとっては不完全燃焼だったのかもしれませんが、二人で寄り添って行動した約6時間は、父として至福の時間でした。私が抱く息子への想いをまとめつつ、今日の意義を記録に残しておきたいと思います。
父子の貴重な時間
正確な時期はわかりませんが、休みの日に息子が乗りたいという電車に連れていくようになって、7〜8年くらいになるかと思います。親として半人前もいいところで、父親として大して有益なことをしてやれていない私にとって、せめてもの罪滅ぼしは息子と同じ時間を過ごし、ひたすら息子の様子を観察することです。
私は、息子を特定の道へと導くようなことはしたくありません。息子の表情を伺いつつ、横に並んで歩いたり、行きたい場所へ一目散に向かっていく息子の姿を後ろから追いかける役割が妥当だと思っています。それは、親の義務を放棄したような無責任な態度と受け取られる可能性もありますが、どんな人生を送るかという選択権は息子にあるので、基本的にはサポートに徹したいという気持ちでいます。他人様に決定的に迷惑をかけたり、法に触れるような悪質な行動には、先回りしてストップをかけねばなりませんが、電車旅をしている間だけは、息子の嗜好や意向を最大限に尊重してあげたいと思っています。
後何年、後何回、息子とこうした時間を過ごせるのか、不安が過ぎります。熱心に電車のドアの開閉を撮影している姿を見て、涙が出そうな時もあります。真っ直ぐに瞳で見据えられると、ドキドキします。それは、この子が自分にとっての唯一無二の存在なのだと再確認する瞬間です。
電車を乗り継ぐ愉悦
もう何年も続けている二人の習慣なので、もうレパートリーは出尽くした感があります。首都圏のめぼしい路線は乗り尽くしてしまい、飽きていること、目下の関心は、関西圏の路線に移っていることを、私は知っています。
それでも、私が誘うと息子は必ず行きたい、と答えてくれます。最寄り駅に帰ってくる時間の条件などを伝えると、息子が最適の目的地を考えます。その選択はなかなか見事で、息子が駅名を告げると、瞬時にパターンが思い浮かび、丁度いい按配であることに気付きます。今日の息子は、珍しく長く考えて、久しぶりの意外な路線を指定してきました。駅で乗り継ぐ度に「ああ、この前にここへ来たのはいつだったろう」「あの時の息子はまだ小さくて可愛かった」とか懐かしさが込み上げてきました。
私が本格的に電車好きになったのは息子のお陰なのは間違いありません。二人で電車旅の記憶を共有してきたことは最高に贅沢だ、と感じた一日でした。今、松本へ帰るあずさの車中で涙が出そうになっています。
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