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アメリカ文学の思い出

本日の記事も自分の歩んできた過去を遡り、20代前半に夢中になって読んでいたアメリカ文学の思い出を引き出してみます。

といっても、ストーリーや作品のディテールは、殆ど記憶から消え去っており、作家や作品を羅列して、その時の感情を紡ぐだけになりそうな予感もしますが、着地点は考えずに、執筆をスタートします。

アメリカ文学好き

私が趣味の欄に書く内容は年齢によって変遷があるものの、”読書”だけは20代の頃から不変です。20代の一時期、「どういう本を読むのですか?」という質問に対しては、迷わず「アメリカ小説です」と答えていました。好きな作家の名前ならば、矢継ぎ早に何十人も挙げられました。

スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、J.D. ・サリンジャー、リチャード・バック、ジェイ・マキナニー、ティム・オブライエン、フィリップ・ロス、アーウィン・ショー、ジョン・スタインベック、トルーマン・カポーティ、ジャック・ケルアック、ポール・オースター、レイモンド・カーバー、ジョン・チーバー…… 

村上春樹氏がアメリカ文学から多大な影響を受けているのは有名ですし、学者・評論家の柴田元幸氏の解説本もよく目を通していました。私がアメリカ文学を多く読むようになった理由に、この二人は大きく関係しています。

思い出の一冊、『世界のハーモニー』

アメリカ文学の忘れられない一冊に、チャールズ・バクスター(Charles Morley Baxter 1947/5/13-)の『世界のハーモニー Harmony of the World 』(早川書房1991、原書は1984)があります。

ミネソタ州ミネアポリス生まれのバクスターは、日本ではそれ程著名ではないかもしれません。1991年、偶然買ったこの短編小説集に収められていた『世界のハーモニー Harmony of the World』に、当時の私は強く惹かれました。今、この本は手許にないので、内容を詳しくレビューすることはできませんが、大体のあらすじはこんな感じです。

生まれ故郷の小さな村で飛び抜けた音楽の才能の持ち主だった主人公の少年は、村人達の期待を一身に背負って、天才たちの集まる有名な音楽院に進学します。少年は青年となり、学院で師事したピアノの先生から、卒業演奏の講評として「家を買え」と引導を渡されます。その理由は、「技能は問題ない。しかし、君の演奏にはパッションがない。それは音楽家として致命的な欠陥だ」というものでした。それまで音楽一筋で、音楽家として身を立てることを疑ってこなかった青年は、この時に大きな挫折を味わいます。その後、芸能業界で身を立て、出会った女性ヴォーカリストと恋仲になり、別れを経験し…… という人生の軌跡が描かれていく小説です。静かな旋律を基調にしつつ、節目節目で強く鍵盤が叩かれるような、音楽的な小説でした。

なぜ、この小説に惹かれ、今も強く印象に残り続けているのか、自分でもはっきりとその理由を説明することが出来ません。ただ、この作品を契機として、益々アメリカ文学にのめり込むきっかけになっていったのは確かです。

バクスターの著作は、出会って10年後にアメリカ駐在の機会を得た際、何冊かペーパーバックを買いました。本作も原書で読み直しました。英語の方がより音楽的で、美しい旋律を奏でています。

アメリカ文学を貫くイノセンス

もう一つ、アメリカ文学の評論で強烈に記憶に残っているのが、評論家・川本三郎氏(1944/7/17-)の『フィールド・オブ・イノセンスーアメリカ文学の風景』(河出文庫1993)という本です。

本書の中で、川本氏がアメリカ文学を理解するキーワードとして挙げているのが、”イノセンス Innocence”です。純粋無垢、誠実さ、とでも訳せるのでしょうが、イノセンスの精神が、アメリカの物語の根底を貫いている、という見立てが妙にしっくり来ました。

後にアメリカ生活を体験して、アメリカ全体が、中学二年生のような精神状態をどこかに宿している、という印象を強く持ちました。ひたむきな純粋さ、穢れていない無垢の精神を、無条件に信奉している、「永遠の中二病」を患っている国、という気がしています。大人になって苛酷な社会の中で、自活の責任を果たしていく中で、失くしてしまったイノセンスへの憧憬、ノスタルジーを強く持っている人が多い印象を持ちます。その割には言行不一致の部分が多分にあるものの、人間としての誠実さ・率直さを何よりも重視する国民性に繋がっている気がしています。

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