リベラリズム/リアリズム という二項軸
本日は、理解がかなり生煮えの状態ですが、色々なことを考えていく上で参考になりそうな、リベラリズム/リアリズムの二項軸を立てて考えるやり方を掘り下げてみたいと思います。
元ネタは、このnoteでもしばしばネタに使わせて貰っている、Voicy『荒木博行のbook cafe』の2022年8月1日、2日放送分です。小原凡司『何が戦争を止めるのか』(Discover21 2016)を題材に、荒木氏が解説している内容(特に2日)に感化されての情報整理です。
リベラリズム⇔リアリズム
私にとっては、リベラリズムの対抗軸にリアリズムを立てるという考え方が新鮮でした。というのは、リベラル(革新)ということばを聞いて、私が真っ先に思い当たるのは、コンサバティブ(保守)ということばだったからです。
荒木氏の
という整理が、腑に落ちました。リベラリズム=理想主義 対 リアリズム=現実主義 と単純化して理解することもできるのかもしれませんが、ここは丁寧に扱いたい所なので、現時点で断言は避けます。
リベラリスト/リアリスト
リベラリズム寄りの考えをする人をリベラリスト(理想主義者)、リアリズム寄りの考えを信奉する人をリアリスト(現実主義者)と呼称することができます。
私の考えは、どちらかと言えばリアリズム寄りだという自覚があるものの、随所にリベラル的な価値観を宿していることも事実です。頑固で融通が効かないところは多分にあるし、自分なりの理想を掲げ、他人の意見や価値観の違いに敏感な部分もあります。『寛容でありたい』と思う一方、心を閉ざすと決めた相手や物事からは徹底的に距離を置きたいという頑なさも持ち合わせています。
生きる姿勢としては、リアリスト的に物を見て、考えをまとめ、振る舞った方が、得はしないまでも、致命的な損はしづらい気がしています。理想を掲げ、主張するには勇気と信念が必要だと感じます。
徹底的なリアリズムも虚しい気もする
荒木氏も放送で言及していますが、リアリズムは、身も蓋もない考え方です。醒めた視点をぶらさず、現実的に折り合っていくだけでは、感動の少ない日々になってしまいそうな気もします。
リアリズムの視点は、大切だと思っています。私は、異なる意見を持つ人たちを折衷させ、妥協させ、着地点を見出すことを求められる立場で仕事をすることが多かったので、理想論で評論するだけ、意見するだけ、という仕事のやり方を忌み嫌っています。キレイ事で済ますやり方は無難ですが、周囲の人々を動かすことはできません。
ただ、実現したい未来に対して愚直に驀進する人への憧れも捨て切れません。最終的にはロマンを感じるアイデアに身を委ねたい気持ちも強くあります。その時々で両極に揺れながら、丁寧に進む道を選んでいければ最高です。
うまく着地しませんでしたが、どちらかに偏り過ぎる事なく、バランスを取っていく生き方を選択することになりそうです。
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