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旅の記録2022:木曽町

予期せぬ10連休初日は悪天候でした。本日は、旅の記録2022ということで、木曽町に、木曽義仲を辿る旅をしてきましたので、記録します。
※本記事は1ヵ月位を目途に有料化する予定です。

悪天候かよ…

本日は、朝から木曽町の旅に行くことに決めていました。その目的は、私が興味深い人物と考えている木曽義仲を巡る旅をしたかったからです。

松本駅7:55発の中央西本線に乗れば、8:53に宮ノ越駅に着きます。この予定を心に秘めて寝たものの、今週は疲れていたのでしょうか…… 目覚めた時間が7:15でした。自宅から松本駅までは、私の脚では40分掛かります。これは無理です。次の電車は…… 11:00台です……

悪天候の予報が出ているなか、迷ったけど行くことにしました。

リニューアルオープンした義仲館

目的は、JR宮ノ越駅から徒歩5分で到着する義仲館です。駅を降りた時点で既に結構な雨風です。

傘を飛ばされながら一目散に建物を目指すと3分で着きました。門構えが恰好いいなあ。この建物は、1992年にオープンし、2019年に一旦閉館し、2021年7月にリニューアルされたばかりです。

義仲と巴と四天王

今日の体温は36.5℃、手の消毒を終え、名前を記帳して入館料300円を支払って見学開始です。入口で待っているのが、木曽義仲の年表です。音声は木曽町出身の俳優、田中要次氏です。渋いな……

ビデオ(①②③)が丁度終わって次回放映まで15分程あったので、先に館内の展示物を観て回ることにします。木曽義仲の幼馴染にして、盟友である巴の画像。魅力的な女性ですが、一騎当千の兵だったとか。

義仲(幼名:駒王丸)の父は、後の天下人である源頼朝の父、源義朝の弟である源義賢です。生まれは現在の埼玉県嵐山町です。2歳の時、父が大蔵合戦で、義朝の長男、義平に討たれた後、斎藤実盛らの計らいで信濃の国に逃れ、中原兼遠の所領、木曽谷で育ちます。

後の義仲四天王+1(巴)として終生忠誠を誓った、兼遠の息子&娘が
・樋口三郎兼光
・今井四郎兼平
・巴
です。(他の四天王は、根井行親、楯親忠、中原家の末弟は落合五郎兼行)

巴の画

この像は素晴らしいですね。

義仲と巴

義仲の墓(各地にある)の一つが、徒歩1分の徳音寺のこの門は最高でした。この時点で傘をさしているのにずぶ濡れで、靴もびしょびしょです。

御籤には、意味深なことばが…… 帰りの電車で缶コーヒーを飲みながら、朝日将軍と称され、京に上り、征東大将軍に就任して5日後に粟津の戦いで討たれてしまった義仲の波乱万丈の享年31歳の人生に思いを馳せながら、もう少し、踏ん張ってみようと誓いました。


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