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箱根駅伝二区のポイント、権太坂を歩く

本日は晴天の気持ち良い陽気でした。横浜へ出たついでに、横浜駅前から国道一号線(東海道)で平戸陸橋あたりまでの約10㎞をWalkingしました。丁度、箱根駅伝の2区のコースを途中まで辿ったので、感想を残します。


横浜から国道一号線を下る

私は会社員時代、横浜駅近くで痛飲して終電がなくなると、それ程酔っ払っていない時は、国道一号線を延々歩いて家に帰っていました。考えごとをしながら、思いを巡らせながら、毒を吐きながら、何時間も歩いていると、疲れが心地好く、気持ちが楽になりました。今ではいい思い出です。

そういう縁もあって、今日歩いたのは勝手知ったるルートなのですが、昼間にがっつり歩いたのは久しぶりだったので、色々な発見がありました。

花の二区に思いを馳せながら…

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で、各校がエースを起用するのが”花の二区”です。自校のプライドを賭けたエースたちの競演は、箱根駅伝の見せ場の一つです。その時代、その時代の学生長距離界を代表する名選手が二区を走り、駅伝ファンを沸かせてきました。私が今日歩いたのは、その二区(23.1㎞)の8.3~18.0㎞付近に相当します。途中にコースの難所として知られる、権太坂を通過します。

今年の第97回大会の二区では、東京国際大学二年生のヴィンセント選手が14位から13人抜きで首位に立ち、1時間5分49秒の区間新記録を樹立しました。昨年の第96回大会で、東洋大学の相澤晃選手(現旭化成)がマークした区間記録を破ったものです。ヴィンセント選手は、衝撃を与えた第96回大会の三区とあわせ、二つの区間記録ホルダーとなりました。

ヴィンセント選手の記録を1㎞換算にすると2分51秒ペースとなります。走る選手に有利な追い風を受ける傾向があるものの、中盤以降が上り基調となる難コースで、このタイムは驚異的です。ほぼ同じコースを逆走し、全体的に下り基調の九区(23.1㎞)の区間記録が1時間8分01秒であることからもその凄さがわかるというものです。

権太坂の秘密

箱根駅伝にさほど詳しくないファンでも、”権太坂”は急坂の難所というイメージがあるかもしれません。ただ、私の感覚で言えば、権太坂そのものが途轍もない難所という訳ではありません。

箱根山中を別にすれば、坂の急峻さだけなら、三区への中継所手前に待ち受ける”戸塚の壁”や、八区の後半に待ち受ける”遊行寺の坂”の上り勾配の方がきついのではないかという印象を持っています。では、権太坂攻略の難しさ、難所たる所以はどこにあるのでしょうか?

二区のコースは、横浜駅を過ぎてしばらく行った高島町の交差点を右にカーブして、国道一号線に入ります。緩やかに上っていますが、JR保土ヶ谷駅の手前あたりからだらだらとした目に見える上りが始まります。この権太坂へと続いていく緩やかな上り勾配が曲者だと私は睨んでいます。

日々の鍛錬で鍛え上げた健脚を持つランナー達が苦にするような急峻な上りではないものの、だらだらと続いていく上り勾配を視線が追い続けていくので、「まだ続くのか……」と心がじわじわ痛めつけられていきます。スピード自慢のランナーたちは、飛ばして行きたい願望を辛抱して、ぐっと耐える必要があるのです。

途中通過する「権太坂上」という地名表記もランナーに錯覚を起こさせるかもしれません。何度も試走を繰り返してぬかりないとは思いますが、実際の上り坂の頂点はさらに先に進んだ児童公園入口あたりにあります。従って、「権太坂上」の表示を見て、「登り切った。さあいくぞ!」と気負ってギアを入れてしまうと空回りして、エネルギーの無駄な消費を生みそうです。

また、坂の頂点からの下りは左右に緩やかにカーブを描きながら進んでいくので、気分が良くなって一気にペースアップしてしまいがちです。ここで頑張って脚を使い過ぎてしまうと、三区への中継所手前に待ち受ける『戸塚の壁』と言われる急坂での最後の絞り出しに影響する気がします。

二区の好記録/不発の分かれ目

過去には、権太坂までを集団の中で走った選手が好記録を残しているケースが見られます。第96回大会で首位に立った青山学院大学・岸本大紀選手、第97回大会で区間四位と健闘した東洋大学・松山和希選手のルーキーの快走は記憶に新しい所です。集団走で先行する有力選手の背中を見ながら走っていると視界が遮られて、だらだら上りを意識せずにこなせるからではないかと想像しています。

今回爆走が期待されたものの、1時間7分27秒の区間7位に終わった駒澤大学・田澤廉選手のレースを考えてみます。不本意な走りと言われながらも、藤田敦史選手、神屋伸行選手、松下龍治選手、宇賀地強選手、窪田忍選手、村山謙太選手ら、綺羅星の如き先輩エースが挑んできた二区の駒澤大学記録を更新しているので、凡走という評価を受けるのは些か気の毒です、しかしながら、彼の持つ潜在能力をもってすれば、後1分位は速く走れた可能性があったと思います。

田澤選手は、12月に出場した日本選手権10000mの激走の影響が残り、調子が完全には上がり切っておらず、出走する前から気持ちの上で少し不安を抱えていたようです。2秒先に中継所を出たヴィンセント選手のペースを速すぎると判断して単独走を選択したのは冷静な判断でした。

ただ、平坦コースの続く前半5㎞を抑え気味に入ってしまったことで、タイムを挽回する為に中盤のだらだら上りで無理をしてしまい、今一歩後半の伸びを欠いたのではないかと推測します。また、途中他校の選手と競り合ったり、集団走をするチャンスがなかったのも不運でした。相澤選手が第96回大会で樹立した快記録は、東京国際大学・伊藤選手と並走した(ランニングデートと呼ばれた)効果が確実にあったと思います。

まだ二年生の田澤選手は、再び二区での快走を見たい選手です。コンディションに恵まれ、最初の5㎞を14分10秒前後で入り、途中競る相手がいたら、ヴィンセント選手の区間記録を更新できる可能性は十分あると思います。

おまけ

駅伝観戦歴40年目の私は、経験を活かし、『Markover 50の中長距離・マラソン・駅伝コラム』というマガジンを運営しています。(無料)
ご興味のある方は、過去記事も是非覗いてみて下さい。


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