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【追悼】ディエゴ・マラドーナ

2020年11月25日に、サッカー界のスーパースター、ディエゴ・マラドーナ(Diego Armando Maradona 1960/10/30-2020/11/25)が亡くなりました。先月60歳になったばかりでした。母国アルゼンチンは、「神の子」と愛された英雄を失った悲しみで、国中が喪に服しているという報道すらあります。

本物の天才達が認める天才

マラドーナの天才性を語る言葉、伝説化したプレーの数々の思い出は今も世界中で多くの人々によって語られています。サッカーというスポーツに少しでも携わった人ならもちろん、サッカーに興味のない人でも、一度はマラドーナという名前を聞いたことがあると思います。好き嫌いは別にして、誰もが認める実力と圧倒的な存在感のある選手でした。

マラドーナを語る上で真っ先に認めておくべきは、「サッカーの実力がぶっちぎりにスゴイ」というシンプルな事実です。全盛期のドリブルは、ファールでしか止められない、と言われていました。当時の映像を見ると、いつの間にかディフェンダーを置き去りにしたり、一瞬のフェイントだけでするりとスペースへ抜けていきます。ボールの置き場所とボディバランスが絶妙で、超絶プレーを苦もなくやってしまうのが本当に凄い。一瞬で空気を一変させてしまう高度な魔法を使える数少ないスーパープレーヤーです。

マラドーナを語る時、「左足一本で世界を獲った」とよく言われますが、ボールを扱わない右足の動きの素晴らしさも見逃せません。天才達が認める本物の天才です。自他共に認める特別な存在だということです。

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マラドーナはどのチームに所属しても不動のエースとして、腕にキャプテンマークの腕章を巻き、チームを何度も勝利に導いて、ファンを熱狂させてきました。

1986年のメキシコワールドカップでアルゼンチン代表を優勝に導いたのが、彼のキャリアのハイライトでしょう。「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」と後世に形容されるほどのインパクトを残した選手は他に思いつきません。

マラドーナが、サッカー選手としてサッカー史に残した実績と栄冠の数々は唯一無二のものです。「サッカーの王様」と称されるペレとも度々比較されてきましたが、私はサッカー選手の個人的能力では全盛期のマラドーナに軍配を上げます。マラドーナのプレー、ピッチの上でのサッカー選手としての資質について、私は最大級の賛辞を惜しみません。

突き抜けた天才は幸福な人生だったのか

一方で、サッカーを離れた私生活の個々の振る舞いや、現役引退後の身の処し方いについては、かなりの疑問符が付きます。飛び抜けたスター選手ゆえに背負わなければいけないプレッシャーと忍び寄る誘惑に押し潰されてしまった部分があったのだろうと想像します。

私は、マラドーナが人間的に不誠実で、愚かな人だったとは思えません。しかしながら、誰から見ても愚かと言わざるを得ない行動を何度も繰り返したこともまた事実であり、彼の輝かしい才能とキャリアに対する汚点となっていることは認めざるを得ません。

比肩なき天才の人生から学べること

マラドーナは余りにも凄い選手すぎて、私にとって非常に遠い存在でした。1986年のメキシコ・ワールドカップで不動の大スターになって以降の彼は、どの試合でも相手チームからガチガチのマークにあい、身体を削られ続けることで、肉体的・精神的にストレスがかかり、コンディションが整わないことが増えていきました。

1990年代になると肉体的な衰えから、プレーで輝きを発揮する機会と時間は確実に減っていきました。前回王者として迎えた1990年ワールドカップ・イタリア大会時のアルゼンチン代表チームは、個人的には全く好きになれないチームでした。マラドーナも、幾つかのスーパープレーや決定的な仕事は披露したものの、全般的にパフォーマンスは低調で、精彩を欠いたプレーも多かったと記憶しています。

今は、彼が全盛期で、神懸かっていた頃の素晴らしいプレーを思い出して、静かに楽しみたい思いです。これから追悼特集の記事や映像が発表されるでしょう。彼のサッカー観や人生観をもっと詳しく探ってみたいなあという思いもあります。合掌。

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