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息子と共に歩く

先週末は、木曜日からの四連休を家族で過ごしました。再び松本での生活に戻って来た今夜は、四日間で起こった出来事を一つ一つ噛み締めています。極私的な内容になりますが、文字に残しておこうと思います。

自分に益々似てくる息子

12歳の息子のことを溺愛しています。普段は離れて暮らしていて、詳しい様子がわからないので、毎回息子と再会するたびに軽い驚きがあります。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という慣用句もあります。幼い、幼いと信じ込んできた息子も、少年から青年、そして成人への階段を昇っていきます。息子と共に歩ける時間は、もう長くはないかもしれないので、一回一回が勝負です。

身長が伸び、体重が増え、表情やうっすら生え始めたヒゲなどを益々自分に似てきていると感じます。振り向く時のそぶりや、だらしなく座ってテレビをみている時の姿勢などのふとした仕草がそっくりですし、耳の形や、爪の形が私のそれに酷似しています。その度に、『紛れもなく私の遺伝子を引き継いでいるのだ』と確信します。この世界の至る所で同じようなことが繰り返されているのでしょう。父と子の関係は不思議なものだと思います。

必ずしも子ども好きではなかった 

若い頃の私は、必ずしも子ども好きだった訳ではありません。友人の子どもに出会ったら、可愛いなあとは思うものの、具体的にどう付き合ったらいいのか、どういう声掛けをすればいいのか、どういう風に導いたらいいのか、戸惑うことの方が多かったような気がします。

今でも、確信を持って「子どもが好きです」と言う自信はありません。人を養育する、というのは相当な覚悟のいることです。自分の気の向いた時だけ可愛がるのは簡単ですが、四六時中緊張感を保って接するのは並大抵のことではありません。子どもを育てるのは偉大な行為である、という認識は大前提で押さえておくべきだと思うのです。

親は一生分の見返りを得ている

息子が生まれたばかりの頃、ある人が、「子どもからは、3歳までに一生分の見返りをもらえる」と語っているのを聞きました。当時は半信半疑でしたが、今ならば、このことばに深く頷けます。

子どもは、親の期待通りに育つ義務なんてないのです。生まれてきてくれたこと自体が奇跡であり、共に過ごす中で、親はもう一生分の喜びをもらっているのです。私は時々、息子が生まれてからの写真を見返して悦に浸る時があります。毎年毎年、息子から宝物を貰っていたのだな、と素直に思います。

今回、四日間のうち、後半の二日間は息子のプチ電車旅に付き合いました。電車旅は10年近く続けている私と息子のお約束の儀式です。私の体力も落ちてきているので、そろそろ付き合うのが大変になってきましたが、息子から望まれる限りは付き合うつもりです。息子はその場で自分が思い付いたように行動しているようで、私が提示した条件や制限を冷静に計算して、最適のルートを選択していることに気付きました。初めて乗る路線の筈なのに、乗り換え駅のことも自分なりに調べていて、驚きました。毎回発見をくれます。


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