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「あの頃はよかった」と言わない大人になりたい

帰りたい「あの頃」がない

みなさんには「全盛期」ってものがありますか?
私はありません!だいたい過去のどの時期も、死ぬほど退屈か、死にたいほど辛いかのどっちかだったから。

小学校の頃、何で学校に行かないといけないのかが分からなかった。
ある日、親戚の集まりでおじさんおばさん達が集まって小学校の頃はさ~と昔話をしていた。ハッとした。
どうやら昔話のネタにするためにみんな同じような小学校という所に行くらしい、と思った。

大人になって、雑談があまりにも苦手なのでコミュニケーションの本を読んだ。人は共通項探しをして話を盛り上げて仲良くなるそうだ。不思議。
個人が何を考え、何を思うのか?みたいな私がしたい議論の方法なんて書いてなかった。それは雑談でやることではないらしい。

「あの頃はよかった」を言える側

「あの頃はよかった」は、それに賛同しない人を拒むような排他性を感じる。

何らかの差別を受けたことがある者にとって、時代が新しくなることは肯定的な側面が強い。
様々な運動により差別が解消されてきたり、テクノロジーの進歩で生きやすさを爆上げできる。

差別する側にとって、差別が解消されることは窮屈さを意味する。
昔は笑えたことが差別と言われる
勝手に触っても許してもらえたのに
マイノリティへの配慮なんてめんどくさい
マウント取れる相手がいなくなる

だから、時代の一部分だけを切り取って「あの頃はよかった」と軽々しく言える人を疑ってしまう。その「よかった」のために、どれだけの人を傷付けてきたのか?直接ではなくても、誰かを傷付けているメディアを賛美した罪悪感はあるのか?

いつも過去を向いている人は退屈だ
若い頃の武勇伝
学生時代の恋バナ
学生時代の部活
全盛期の自分の容姿
子供が小さい頃

もちろん、過去に学ぶべきことは大いにある。
各人のバックグラウンドにも敬意を持って接したいと思う。
だけどさ、共感されたいポイントが過去のある限定的な時期や、コンテンツ、空気感みたいなのって、それ知らない人や、知ってても好きじゃない人からしたらどうでもいいわけ。

今の、あなたと、今見えている、何かについて語る方が有意義だと思うんだな。

言葉に対する感覚が鈍い人

言葉をアップデートしない人もそうだ。
自分の半径5メートルで通じる言葉で、知らない遠くの誰かとも、会話が通じると思ってる人。

差別的なニュアンスを含む言葉は、次第に使われなくなる。
「あの頃はよかった」感覚で、一度覚えた言葉が正しいと思って使い続けてないか?

老害への第一歩ですよ。
共に気をつけましょう中高年。

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