メルカリで真っ先に売った物
化粧品
アクセサリー
ヘアアクセサリー
ヒールのある靴
荷物が入らないバッグ
装飾のためだけの小物
それぞれが特別大きい訳でも、数が多い訳でもなかった。ただ、持ってる割に有効活用できてないし、自分が持っているべきじゃないと感じてた物たち。
まだ使えるし、捨てるのはもったいないのでメルカリに出品したら次々に売れた。ああ、本来持つべき人のところに旅立ってくれた。肩の荷が下りた。
買う時は、いやいや買ったのではない。それなりに吟味して、気に入って買ったと思っていた。
しかし、いざ使い始めると「義務感」のような感情が芽生えてしまった。
機能的でも、心地よいわけでもない、装飾をメインの目的にした物たち。手放してから気付いたけど、それらを自分の物だと思えなかった。
こういった、「使えなくはないけど微妙な物」があると、その欠点を補うように類似品を買ってしまう。そして物が増えるスパイラルに陥る。
脱コルセット≒ミニマリスト
メルカリで不用品を出品し始めた当初は、脱コルセットという言葉を知らなかった。しかし、持ち物の中で真っ先に目が向いたのは「女性向け」とされる物ばかりだった。
ああ、私は「女性的」な恰好をするのが好きじゃないんだろうな。
学生時代は自覚していたけど、社会人になって蓋をしていた気持ちに再び向き合うことになった。
ミニマリストについてはもう少し早い時期に知っていた。ちょうど狭いワンルームに引っ越しをする時期で、物を減らしたくてミニマリストブログなどを読み漁っていた。
女性のミニマリストの方々は、ポーチの中身公開をやっている人が多くて、化粧品も各アイテム1つずつ、化粧の工程自体も簡略化している人が多かった。
別におかしなことじゃないんだ。女だからといって美容にこだわる義務はないし、物だって少なくしていい。なんだか心が軽くなった。
一時期の断捨離ブームやミニマリストブームも、もしかしたら脱コルセットの意味合いを含んでいたのかもしれないな。無意識のうちに「捨てたい」と思っていた人も少なくなかったのだろう。
着せ替え人形からの脱却
服やアクセサリーを沢山持っていること自体が悪いとは思わない。自己表現としてファッションを楽しむのも大いに結構。
しかし、その自由意思で選んでるっぽい恰好は、どこまで自己決定されたものなのだろう?
絶えず目に入る広告、SNSの投稿、身近な人からの刷り込み、おびただしい数のファッション関連の店、ドラッグストアの広い面積を埋める化粧品、限定品、セール品、コラボ商品。
多くの種類から選べることが自己決定なのか?
買わないことも自己決定じゃないのか?
多くの服やアクセサリー、化粧品を使いこなし、周りの人の目を楽しませる着せ替え人形。女性ならそうあるべきだとのメッセージを、この大量生産された商品を見ていると思う。
単純に、男女の賃金格差があるなら、男性向けを多く作った方が売れそうなのに、そうはなっていない。「見られる性=女性」のステレオタイプで賃金格差の安い方の人たちが出費させられる。
奢ってくれる男がいればいいなんて思ってない。経済格差を利用して黙らされる関係なんか無い方がマシだ。これは親子関係や先輩後輩関係にも言えること。
自分の外見に関する物で、持っていることに違和感があるなら、思い切って売ってみたらいい。
それで、本当にスッキリしたら、それはあなたには必要なかった物。それと似たテイストや用途の物も、同じく手放してみたら、もうあなたは自分のなりたい方向が見えている。