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起きて半畳寝て一畳、贅沢ゆえに二畳は欲しい

2月中旬。今また持病の再燃寛解の輪がめぐり、特に仙腸関節から脊椎ならびにその周辺の炎症が強く出ています。

冗句を省くなら、今年で一番体の調子が悪くて弱気だもので、ツイッターについ失笑もののさえずりをしてしまいそうなので、たまにはnoteにて自分語りをして発散しようということです。

病状

強直性脊椎炎と発達障害の二刀流の世界へ、ようこそお出でくださいました。寒波のせいか……良くないですね。

こうも痛いなら、早々に強直するタームへと進んでほしいものですが、人生が思い通りにならぬように、病もまたその立ち位置で迷うのがお好きなようです。『トゥルーマン・ショー』のエキストラじゃないんだから。

私はいわゆる「バンブースパイン」の段階には達していません。また、CRPもほとんど高くならず、一方では付着部炎が全身で確認されています。

強直性脊椎炎(指定難病271) - 難病情報センター

ああ、前後しましたが、この記事をご覧のあなたも、「同病相憐れむ」べき人かも知れません。体の痛みにお苦しみなら、ぜひ上記ベージにて概要をご確認あれ。

私は典型例から外れているのが幸か不幸か……。合併症としては、眼科分野のぶどう膜炎こそ避けられているものの、肝臓と心臓にいささかのつらさがありますね。

もっとも、「今そこにある危機」な皆様に比べたら、実に恵まれてはおります。

私の「脇差」であるADHDならびにASDとの相性がとても悪いのが、これもまた悩みどころです。もし時代が違ったならば、ロボトミー手術の「奇跡」に頼ったことでしょう。

思案

そうは言っても、日本という国は優しいもので、こんな私でも文化的な生活は送れています。

一時期は部屋の電灯も冷蔵庫もカーテンもありませんでしたが、今はそのあたりも改善されました。電子レンジまであります。冷凍庫はありませんが。

社会福祉という概念は実にありがたく、同時に「優生論」がなぜ生まれたかをぼんやり感得するくらいには、自身の無能力を自覚してしまいます。

この体ゆえに、毎日の決まった時間の通勤と勤務から解放されたのだと思うと、むしろ社会の最前線で理不尽に晒されている皆様に申し訳なく存じますね。

本当に、勤労とは恐ろしいものです。組織は論理ではなく感情の増幅装置なのだと、幾度思ったことでしょう。

贅沢

しかし、1ヶ月31日のうち、1-2日を通院するために外出する程度で、あとはほとんど布団で暮らす身となった今ながら、それでも贅沢な願いを描いてしまいます。

ええ、ベッドがほしいですね。できれば、大きめのベッド。6畳弱のこの部屋には置くスペースもなく、いいえ、崩壊した室内のコンディション維持ゆえに生活スペースは3畳ほどしかありませんが……。

そう、2畳。ごろりと横になって、しかも少しばかりの安らぎがある寝床。その2畳がほしくなるのです。

奇しくも、世界では2畳の寝床どころか1個の棺桶を与えられんとしている人々がいるなか、まことに平和で見下げた欲望とは思います。

それでも、ついぞ安楽に。起きて半畳寝て一畳、それさえ超える二畳の寝床。あとは息をしても痛くない程度の寛解、と願う「浅ましさ」が、私のなかではとぐろを巻いているわけです。

ああ、しかし、それを求めて文明は育ち、争い続けているのでした。してみると、やはり私は安穏として、こうして毛布にくるまれ、スマートフォンでフリックしていることは、いかに楽園の環境かと思わざるを得ません。

午睡

アルメニア、アフガニスタン、そしてウクライナ。数多の現代の戦争を、格闘技イベントでも見るかのように眺めてきました。

ずいぶんと行儀が悪いとは自覚してしまいますが、しかし、対岸の安楽ほど気持ちを安らがせるものもないのだ、とほくそ笑む自分を見つけています。

今いる場所が此岸ではなく、丸ごと彼岸になる未来も考えられるというのに。

とはいえ、致し方ないものと心得ています。どうしようもないことを思いわずらうほど、空漠の海での一人遊びに近しいこともありません。

行き着く先は、今できることをし、今楽しめるものを楽しむしかないのでしょう。さりとて、大小の悲劇をポップコーン片手に眺める趣味は、いずれ自分がその劇の主役になる覚悟が必要なのだろうと感じています。

いやさ、この「いやらしさ」がゆえに、「実質的な疑似軟禁状態」にあるのかもしれません。

皆様におかれましては、ぜひとも良きことを。親しき人を助け、外食を楽しみ、経済を回されますように。

生きるということは午睡にも似て、気持ち良くなければいけません。白昼の悪夢の泥濘でもがき苦しむのは、ひたすらに虚しい限りです。

日が昇れば日を愛し、月が昇れば月を愛でる。叢雲がなくとも、十分な美がそこにあります。たとえその楽しみが赤子の揺籃の娯楽であろうとも、歓喜があれば良いではありませんか。

まだ春には早いものの、蘇軾の『春夜』を引用させていただき、本稿の結びといたします。欧陽脩に見出された稀代の人の七言絶句とともに、良き夜を過ごされますよう。

春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈