見出し画像

しんどい時にしんどいと言える勇気と、その勇気でプチ傲岸不遜になるという選択肢

人間は良い子から死ぬようにできてる。

なにぶん、社会が言うところの「善行」とは、合法的に酷使するための名分として作られたものなので。

そういうようなことを、秋の夜長に思います。

復讐は気持ちいいし、暗殺はスカッとする。

たぶん、それ以外の理由はないんです。

Assassination of Rulerが事態を改善しましたか?

しませんわね。

骨が折れたら強くなるように、より苛烈な未来が待っています。

結局のところ、「死はすべてを解決する」のではなく、「死はあらゆる問題を先送りにする、取り返しがつかなくなるまで」というところに落ち着くのでしょう。


体調がしんどいファックな夜

かくのごとく思うのは体がしんどいからです。

体がしんどいのはなぜかというと、難病だからです。根治療法は確立していませんし、鎮痛剤は弱オピオイドを限度量まで使っています。ファックですね。

日本でも医療大麻が広く普及していれば、あるいはもう少し楽に暮らせるかもしれません。しかし、芸能人やどこぞの大学の硬式野球部が楽しげに使うたび、その夢は遠ざかります。ファックですね。

もし病気についてご存じないなら、私の自己顕示欲がたっぷり入ったこちらの記事を読んできてください。やったね、たえちゃん。スキとフォローが増えるよ。私は自分の文章が誰かの心をえぐることを確信しています。真里谷ってヤローはファックですね。


愚痴なんて言ったところで魂の品格が下がるだけなのに

「愚痴」ってすばらしい単語ですよね。

「愚か」で「痴れ者」ですよ。

愚痴なんて言う輩がどれだけ非生産的かを表しているようです。つまり、ここまでの私のことです。付き合わされている皆さんはご愁傷さまです。とりあえずオレンジジュースでも飲んでみてはいかがですか。甘みは救いですよ。

そして、私の手元にオレンジジュースはありません。液体は持って帰るのが重い……。

そうして液体を運ぶのが嫌だ嫌だと思っていると、水を汲むために毎日何時間も往復する、アフリカの健脚な子どもたちの顔が脳裏をよぎるわけです。

おお、畜生。私は生物として欠陥品だ。

ぜひとも機械の体が進化してほしいものです。でも、ネジにするのは勘弁な。


役立つ人間は死ぬ

荘子も言うとりましたわ。役立つ人間からはよう死ぬんです。荘子っちゅうか、荘子の内篇に出てくる大木が言ってたんですが。どだい役に立つってことは他人様にこき使われるということです。それなら役立たずのボンクラのほうがだいぶいい。

いかんせん、死ぬのは怖い。

そこのところ、守るものを変に作らないことは、ある種の人生の防衛策とも言えるかもしれません。金もない、恋人もない、もちろん勲章なんて持ってない。無敵の人ですよ。

かくの如き意味あいにおいて、人間が人間たるを確立する要素が何であるかについての結論がまるで出ていないのは、現生人類の怠慢のような気がするわけで。

機械の体が必要です。より高次に行くためには、そこから始まる劇的なブレイクスルーが必要なのではないかと思うわけです。

電気信号は個体を保証するか。

それはわかりませんが、血肉を持った現在の体でさえ、動かしているのは電気信号です。それがデジタルに変換されたところで、大きな違いはないでしょう。

いずれ高度な人格体なるものが創造されたら……いや、この話はここまで。


デアリングタクトの猛進

無敗の三冠牝馬……歴史上初めての誕生です。

あれほどに力強い存在もない。すばらしいことです。

母母のデアリングハートのことはよく覚えています。良い馬でした。

しかし、まさか世代を重ねて、これほどの極上の速さになって表れるとは。

血とは面白いものです。あるいは血がそこまで才能を決定づけるのが面白いのか。

家門や人種が選択を規定しないのは嘘っぱちです。現代にモンゴロイドが鍛錬を重ねたネグロイドに短距離走で勝つのは不可能に近い所業です。世界は公平に不公平なことを認めねばなりません。

「努力すれば誰でも成功できる」教は、いつ火あぶりにされてもおかしくない自覚を持ったほうがいいでしょう。では、この状況からも自己練磨によって脱してみせよ、ですよ。

見極めるべきは、何を成すのが最も響くかです。我という個体を認識し、我という個体を伸長させる方向を選ばなくてはならない。鬱蒼としたシュヴァルツヴァルトで、コケが大木の夢を見るのはあまりにも絶望的です。それならば、コケとしてできることを探さなくてはなりません。


命になるために、凡俗の海へ

何しろ、世の中はしんどい。聖人君子のようには生きられません。凡夫たるを自覚して、そこから目指す姿勢を表すのみです。もしも自分を神か仏かと喧伝する人がいたら、それは間違いなく距離をおくべき存在です。

努力。尽力。達成。歓喜。

どれも、無理をして成し遂げれば、いずれどこかで破綻します。無為自然の中に求められるものが、最もよろしい。このところ、とみにそう思います。

文体もそうで、取り繕った内容はどこか空虚です。無理してる感がにじみ出てしまう。40代50代にもなって、似合わないヘアカラーを入れているようなもんです。似合っているなら別ですが、美とはトータルコーディネートですから、どこかがいびつだとすべてがいびつになる。若者のように振る舞ったところで、失った時は取り返せません。

概ね、青春は浪費されているのです。そんな未熟さの中に純粋性を見出すのはおやめなさい。

そう、きっと文章も、駒を進めていかねばいかんです。若いころのような文章は書けませんが、今だからこそ書けるものがある。それを過去の彩り豊かさにかまけていれば、凡俗を通り越して虚無になる。

テキストは、流れに反する者に微笑んじゃくれない。そう思います。

ああ、これが「意識の流れ」なのかしらん。私はそちらのほうはとんと門外漢ですが、不可思議な筆の運びにはいささかの興味を覚えます。書くのは好きですが、読むのは苦手だもんで、それでもテキストが持つ色合いには魅力を感じますね。色合いです。あるいは波長か。波紋か。

読むテキストじゃなくて、見るテキストを書く。

それもひとつの到達点かもしれませんね。

では、収まりが良いかどうかは別にして、このへんで。


******************
真里谷(Mariyatsu)
■メールアドレス
memory@1mass.net
■RESUME
https://www.resume.id/mariyatsu
■PixivFANBOX
https://mariyatsu.fanbox.cc/
■note
https://note.com/mariyatsu
■Twitter
https://twitter.com/mariyatsu
******************