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そうか、アスペルガーだったのか。#成人期

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25歳でアスペルガーと診断されたアスパーガール。 いままでの人生を思い返してみると、 「あれって、もしかして、その特性のせいだったのかな」 と思うことがいっぱい。 そんな成人期の… もっと読む
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#発達障害

電話が嫌いな本当の理由とその対処法

最近、携帯電話を解約しました。携帯電話があるのが当たり前の時代に育ったわたしたちの世代。 中学生になると、クラスの半分はケータイを持っていました。 そんな周りの流れと一緒に、わたしも中学生になり、 親を説得し、ケータイをゲット。 学生時代は、メールを1日に何十通も送る生活を楽しんでいました。 それから14年、計6台のケータイと一緒に育ってきましたが、 この春、一端、ケータイを卒業することにしました。 電話を携帯している。 いつでも電話がかかってくる。 その状況が、わたし

野球中継が “痛い” ?

野球中継で体調がわかる?わたしのもつアスペルガーの特性として、『自分の疲れを自分で認識できない』というものがなかなかやっかいなのですが、担当医と話しているうちにだんだん自分の疲れのバロメーターを認識する方法がわかってきました。 わたしの場合、いちばん顕著に現れやすいのが、『聴覚過敏』です。 ボリュームの調整機能が格段に落ちる。 すべての物音が同じボリュームになることで、周囲の音がうるさくて、耐えられなくなってくるのです。 そうなったらもう身体が「疲れているから休ませて〜」と

ただひたすら見て覚える試験前

紙面をそのまま脳にスキャンする勉強法ってひとそれぞれ違いますよね。 ・書いて覚える人 ・何度も問題を解いて覚える人 ・声に出して覚える人 ・聞いて覚える人 ・ひとから習って覚える人 etc... そんな中わたしは、『見て覚える人』です。 教科書やノートをひたすら見て覚える。 紙面をそのまま画像として、脳にスキャンするんです。 試験のときは、脳内でスキャンしたノートをめくって、 目的の内容が載っているページをみつけて、 その部分を拡大して、答えにあたる箇所をみつけて、 答案用

気づけばシリアルだけで一週間。

食べ物に執着がない!よくビックリされることに『たべものに執着がない』ことがあります。 興味のあることには、とことん情熱を捧げるアスパーガール。 反対に、興味のないことに関しては、とても無頓着です。 わたしの場合は、それが『たべもの』。 もちろん、好きな食べ物や嫌いな食べ物はありますし、人並みに美味しいかまずいかをわかる舌は持っていると思います。 でも、時間やお金をかけてまで「美味しいもの、身体にいいもの」を食べようとは思わないのです。 衣◎・食×・住△アスパーガールの中

「赤い」ランドセルは、イヤ!絶対!

女の子は『赤いランドセル』って、だれが決めたの?いまでこそ、ジェンダーで色をわけることはほとんどなくなってきましたが、 私の小さい頃は、まだまだ性別によって特定のイメージがある時代でした。 寒色→男性、暖色→女性、中間色→どっちもOK が当然だと思われていたし、そうであることを求められていたように思います。 もちろんランドセルも今のように、水色や紫、オレンジなどカラフルな色はなく、「男の子は黒!女の子は赤!」というのが当たり前の時代でした。 ランドセルを買ってもらえるって

7:00ぴったりにご飯を食べはじめたい。

できあがったご飯を前に、じっと待つ。これは、アスパーガール独特の『こだわり』のつよさのせいだと思うんですが、わたしは『時間ぴったり』じゃなきゃ動けないことがありました。 とくに小学生、中学生のときはその傾向が強かったと思います。 たとえばこういうことがあります。 毎日7時にご飯を食べると自分で決めていたとします。 そして、ご飯が6時57分に食卓に並ぶとします。 そのときわたしは食卓に座り、家族と一緒に「いただきます」をしたあと、 お箸をもたずに7時になるのを3分間じっと待

そろそろ放電タイムです!

わたしたちには静かな場所でのひとりの時間が必要です。情報のコントロールが苦手なわたしたちは、不要な情報も受け取ってしまう体質のため、『ひとといること』それだけで過剰なエネルギーを受け取ってしまいます。 『ひと』はもちろん、『音』や『光』『匂い』『振動』いろいろなものに、日々絶え間なく振り回されているのです。 それらが渦巻いた雑踏のなか、つまり都市のなかで過ごすことは、常に莫大な負荷を抱えて生活していることと同じで、スイカ割りをするかのように、ぐらぐらする世界を必死に歩いて

「はい。」は言えなきゃだめですか?

「はい。」が言えない子。ふつうだったら、大きな問題はないのかもしれませんが、 わたしは、「はい。」ということに大きなプレッシャーを感じていました。 自分の中で、心の底から「そうだ、その通りだ。」と思えない限り、 「はい。」という言葉が言えなかったのです。 日本では、とにかくまず「はい。」と言え!みたいな風潮があります。 それを理解できなかったわたしは、「はい。」が即答できないことによって 多く誤解されてきたことだと思います。 1+1=2とは限らないじゃないか。なぜ「はい。」