香りと海と
お香の店を継ぐ夫と結婚して10年。
いま、これまででいちばんお香を必要としている。
コロナ以前、ちょっとした用事で毎日外に出て、仕事やお稽古でいろいろな方にあって、そういうひとつひとつが自分を忙しくもし、充実させ、香りの刺激にも飢えていなかったように思う。
ステイホームの数ヵ月はどうしても家での時間が長くなり、顔を合わせるのも家族だけという日もあった。そんな中、この10年でおそらく初めて、本当に自発的にお香を焚きたくなった。
できれば聞香でも楽しんでいると言いたいところだが、小さい子供たちがいるため限りなく厳しい。
が、スティックタイプのお香を焚くのは拍子抜けするほど簡単だ。ガスコンロの火で5秒ででき、そこから約30分、異空間になる。
海をイメージしてつくったお香など焚いているともう完璧に脳内トリップである。
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学生時代からひとり旅が好きで、さまざまな海をみた。ジブラルタル海峡を渡ったり、サグレス岬に行ってみたり、数えきれないほど夜行バスに乗り、ユースホステルに泊まった。
子育てとコロナで、そういう旅は彼方へ遠のき果ててしまったが、香りが脳を刺激するのか、かつて行ったいろいろな場所のことを脈絡なく思い出す。
子供時代は香港で過ごした。香港から初めて家族で行った海外旅行は、忘れもしないフィリピンのパラワン諸島のディマクヤ島というところである。マニラまで飛行機で行き、翌朝セスナに乗り換えて、さらにジープとバナナボートでようやく到着。前年まで世田谷区周辺をほぼ出たことのなかった子供にとってはちょっと衝撃的なほど僻地だった。
それだけに海の美しさは格別で、加えて人のおもてなし、絵に描いたようなコテージや夕陽、食べきれないほどのフルーツ…きっと美化されて楽園のように記憶されているこの地を越えるビーチにはこれからも出会えないような気もする。わたしの僻地好きの原体験ともいえるのかもしれない。
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海との縁は、まだある。香港にいた頃、住んでいたビルの目の前も海だったのだ。砂浜もなく、潮だか排水だかのなんともいえないにおいがして、とうてい泳げる海ではなかった。近くから出ていた、数十円ほどで乗れるスターフェリーでよくその海を渡った。家の窓から対岸をみると、クリスマスから旧正月にかけて、とくに綺麗なイルミネーションが広がる一方、ビルから一歩外に出るとローカルな市場があった。そこでは、生肉や漢方薬、排気ガス、ドリアン、カレー風味の魚団子を煮る屋台のにおいなどがまじりあっていた。
「香港」という地名がお香に関係していると知ったのは、ずっとあとになってからだ。かつて香木の集まる港であったことが由来といわれている。
こんな調子で香りとともにいろいろな記憶が頭をめぐる数ヵ月だった。海の向こうへふたたび行ける日を心から願いつつ、今日もお香を焚く。
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