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【夫婦仲良しは地球を救う】夫婦依存はナンセンス?

 「パートナーに依存して何が悪い」。 

 私は旦那に依存している。赤子顔負けの甘えん坊だ。「相手は自分の所有物じゃないでしょ」というご説法もよく聞くけれど、そこのあなた!そんなもっともらしい文言に納得して本当に大丈夫?

 脳科学的に言うと、人の脳がパートナーに求める感覚と、母親に求める感覚はほぼ等しいゆえ、無意識のうちに人は相手に依存してしまうらしい。

 子どもの頃、母親は、自分が生きる世界そのものだった。たとえ産みの親に育てられていなくても、誰かに育てられたので、そういう存在の人はいたはず。記憶のない赤ちゃん時代は、かならず誰かがあなたの面倒を見てくれていた。たいていそれは”母親”である。

 さて、ダンナとまだ恋人関係だった時、彼が夜に友人と飲みに行って連絡がとれなくなった。彼に対しての、脳みそ赤ん坊の私だから当然大騒ぎ。大量のメッセージを送りつけ、返事が来ない。気分は、そぼふる雨の中、段ボールで捨てられた子犬の様相。真っ暗闇の部屋の中で一人取り残された気分。あまりにも苦しい。なので、この状態を脱するべく、なぜそんなにまで不安になるのか、私は自分の中をリサーチかけてみた。

 すると、幼児期、同じ暗闇を味わったことがあったことを思い出した。私は幼児期、父の研究所の官舎に住んでいた。塀に囲まれた比較的安全な場所だったということもあり、母親は、私と妹と家に残して近くの商店に買い物に行くことがしばしばあった、そしてなかなか帰ってこない。私、4~5歳、妹が2~3歳のころである。

 よく考えてみると官舎だ。ご近所さんと会えば、そりゃ井戸端会議になるだろう。でもここはは北海道。4時半には、外は真っ暗になる。私は玄関で泣きじゃくり、2歳の妹からよしよししてもらう始末。

そうか。この時の恐怖と、今回のダンナ連絡不通事件は、リンクしたのだ。5歳の女の子の先の見えない永遠とも思える恐怖。これが50+α歳の私の身に再び起きた。

このことにハッと気がつき、その頃の自分に、

「こわかったね、不安だったね。もう大丈夫なんだよ。もう大人になったし、彼も大人だから大丈夫だよ。よしよし」

となぐさめてあげたら、すっかり不安は解消し、平気になった途端、彼から返信がきた(この様に、自分の現実を変えると、起きる物事は変化する。その話は、「マリ真理学」本編にてどうぞ)。

 さてこのことは、旦那に依存することは、母親に依存することと同義であり、自然なことだという証拠だ。人間が心から願う悲願にも近い、パートナーに依存したい心に背を向ける必要はない。

 ただ依存と言っても、タバコや酒の依存症とは違う。私はSNS依存(笑)だが、旦那への依存とSNSは一緒ではない。SNS依存や酒・タバコ、ギャンブルなどの依存は、逃避によるもの。だが、パートナー・母親に求める依存は自分を深く知って豊かな人生を送る上で、とても大切なことだ。 

 だから私は旦那に依存している自分を受け入れ、相手にもその”事実”を伝えている。自分の中に原因があることがわかっているので、相手を無理やり思い通りにしようとか、束縛しようとかにはならない。「あなたを所有したい」という気持ちを素直に認め、伝え合い、ではどうしたらいいかを具体的に話し合い、フラストレーションをためない信頼しあえるパートナーシップを築いている。

 「所有するなんてナンセンス」と、本当の欲求、悲願、あなたの心のなかの”赤ちゃん”を無視していると、相手も同じことをしないといけないハメになる。それってお互いに不幸なことだ。

「甘えたい、自分だけ見ていてほしい」と、素直に認め合うのが、本当の意味での世界平和への第一歩なのではないかな。と、わたくしは切に思うのです。

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