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前兆
グループを辞めてすぐ、久しぶりに体調を崩しました。数日間寝込むなんて久しぶりで、その期間、よりによってオーディション2つ、ワークショップ二日間、二泊三日の出雲旅行がありましたが、全てがパァになり、わたしの頭もパァになったわけです。
脱退で心に大きな風穴を開けて、こうなったからには頑張るしかない!という意気込みに対して早速追い風がきてる!とワクワクしていた矢先のことで、わたしは布団の中で、全てが台無しになっていくのを泣きながら見つめることしかできませんでした。
しかし。
ここからがすごかった。
行けなくなった2つのオーディションには、体調不良を報告して謝罪をしました。
正直、しんどかったけど、黙って行ってしまおうかと何度も思いました。しかし、わたしはこの制作さんと仕事がしたい、それならば、不誠実な行いは絶対にいけない、たとえこの機会がなくなっても、いつかまたご縁がいただけるように、と腹を括って連絡をしました。当たり前のことですが、悔しくて、メールを打つ手が震えました。
返信は、2件とも「お大事にしてください。別日でオーディションしましょう」というものでした。
ワークショップも「別の機会に振替えましょう」
旅行に行く予定だった親友は、2日前にもかかわらず「別の子を誘ったらまさかの二つ返事でOKだったから気にしないで!!」
え、こんなことってある?
全てが協力して、わたしをしばらく、休ませようとしてると思いました。だってすごい。無くなったと思った全部のチャンスが無駄にならなかったのです。こんなことって。
同時に、こんなに色んなことが上手く運ぶなんて、きっとわたしはいま何かをキャッチしなきゃいけない、と思いました。
体調が悪い期間は急変の可能性があったので、祖母や親戚の住む家に居候することにしていました。こうして、10年育った家に期せずしてもどりました。
というのも、
風邪ですらうつったらまずい祖母本人は、たまたま数日前に骨折をして入院しており、祖母の部屋が空いていたのです。いいのか悪いのか、これもすごい偶然です。
コロナ禍もあり久しぶりに訪れた祖母の家は、わたしや母や従兄弟たちの写真がたくさん飾ってあり、壁一面にcolor-codeとセラミューのポスターが飾ってありました。物持ちの良すぎる祖母は、中学生のわたしがどこかで買ってきた箸やマグカップを使っているようでした。
祖母との生活は楽しいことばかりでなくて、茶色いお弁当や柔軟剤の匂いに文句を言ったことも一度や二度じゃありませんでした。母と離れて暮らすわたしはきっとどこかで寂しさもあり、祖母は母のことを世界一愛しているのもわかっていたから、拗ねて酷い態度を取ったりしました。
でも祖母はいつもあっけらかんとして、わたしが食べたい時にご飯を出し、起こしてと言った時間に起こして、食べたいと言ったらそれを買ってきて作って出してくれていました。当たり前に享受していたけど、これら全てが偉大な愛だったことに、帰ってきて改めて気づきました。押し入れを開けると、几帳面に端を揃えて畳んであるタオルやハンカチがしまってありました。そういえば祖母は布類だけはちゃんと端を揃えて干して、三つ折りにして畳みなさいと、それだけはわたしに口うるさく言いました。もしかしたら他にも言われてたかもしれないけど、わたしのちんけな脳みそがそれしか覚えていないことが残念で、惜しく思えました。
と言っても、まだ祖母はピンピンしています。骨折して入院しているけど、リハビリの先生がイケメンだから頑張れると言ってました。歴史がどうとか、昔の経験を聞いて下の代に語りつなぐとか、そういう堅苦しいことではなく、わたしは孫として、今だから祖母からいろんなことを聞いてみたいし、学ぶことがきっとたくさんあるだろうと思う。そして、こんなふうに家族を大事に、自分の人生をしっかり自分の足で歩く女性になりたいと思いました。
伏せっている間に世話をしてくれた叔父夫婦は、10年暮らした期間も、娘のように可愛がってくれていました。そして、今回も、食事を出してくれたり、必要なものを買ってきてくれたり、29歳にもなってほんとうにどうしたもんかというこのわたしにも変わらず接してくれました。
あの頃、あの10年に、わたしがどんなふうに育ったかを見つけることができた期間でした。わかったことは、わたしは、色んな方向から、両親や祖父母、親戚から、大量に愛情を注がれて育ったということでした。つゆだくねぎだく大盛りです。
人は受けた愛情のかたちを「愛」として認識します。家庭によってそれぞれ違う愛を、いつか他人に注いで、歴史は繋がっていくわけです。そしてわたしはこのつゆだくな愛のかたちを持って、芸能の世界で生きていく。これはある意味、最強のことなんじゃないかと思います。
「わたしにはこの愛があるから、大丈夫」
というのは、根拠のない、だけど1番強い自信になるからです。何をして生きていこうが、わたしは大丈夫。これがあるなら。
また1から、踏ん張って歩き出してみよう。
心に大きな穴が空いたわたしが再び歩き出すために必要なものを取りに行く、必要なお休みだったと思います。
そしてそのタイミングで、本棚に眠っていたある本に目が止まりました。
『アルケミスト』パウロ・コエーリョ
学生時代、周りの人が何人かこれをバイブルにしていたことをきっかけに手に取り、ちらと読んでみたものの全く意味がわからずしまっていた本を、ひょんなことで開いてみたら、「今だ」と思うことばかりが書いてありました。
「お前が本気で何かを欲したときは、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」うろ覚え
「焦らずゆっくりと街を歩いてみた。そうしないと、前兆には気づくことができない」こんなかんじ
数珠のようにつながる前兆を見落とさないように、ヤキモキしながらゆっくりと、静かに、おとなしく、歩いてみる時間とします。
まりさ
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