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ジージの足

わたしの足は、熊の子どもみたいな足だと言われたことがある。たしかに、わたしはこのましかくな足で、毎日地面を踏みしめて、のっしのっしと歩いている。

ハイヒールにもトゥシューズにも向かないし、ビルケンシュトックからも小指がはみ出る足だが、ホビット族ってこんな足な気がする。だから気に入っている。

この足は、母似で、その母は、父似であった。

この父というのが、わたしのジージである。



ジージは顔の濃いハンサムだった。北大路欣也と津川雅彦とルー大柴を足してカレーのスパイスをちょっと足して割ると我がジージになる。


ジージは、よくわたしの足をマッサージしてくれた。わたしは高校生くらいで、ジージは75とかそこらで、普通逆だよなぁ、と思いながら、良く甘えてマッサージしてもらっていた。テレビを見ながら、演歌歌手相手に「ったぁー!だめだよ!こんなブサイクをテレビに出したら!!」とよく大声で文句を言っていた、ルッキズム気味のジージ。わたしは初孫だったこともあり、小さい頃からジージに溺愛され続けた。料理が得意で、わたしがおいしい!といったものを繰り返し作ってくれたり、得意な運転でドライブしてくれたり、捕まえたセミや蝶を見せてくれた。ジージの部屋のせんべいの缶には、そのシーズンに死んでそこらへんに落ちていた綺麗なセミや蝶が入っていた。部屋は畳とおせんべいの匂いがして、いつも綺麗に片付いていた。大好きな石川さゆりのカセットを繰り返し聞いていた。いつも、お金だけはなかった。


オババからしたら「顔に惚れて結婚したけど甲斐性なしだった」らしい。いい顔しぃなので事業を始めてお金を持っても、みんなに振る舞ったりしてすぐなくなってしまうタイプだった。初めてその話をきいたとき、「わたし、少し血を受け継いでいるな」と感じた。隔世遺伝だ。


優しくてイケメンだけどお金はないジージは、マッサージや料理やセミでわたしに愛情を注いでくれていた。家を出て一人暮らしをはじめてからは、たまにしか会いに行けなかったが、部屋に入るといつもどおり畳とおせんべいの匂いとジージの嬉しそうな顔がむかえてくれて、最近のセミを見せてくれたり、わたしの好きな手羽先の唐揚げを揚げてくれたりした。


だが徐々に具合が悪くなっていくと、部屋の匂いも変わっていった。たまに訪れるからこそ、畳とおせんべいの匂いに、何か別の匂いが混じっていくのを感じた。元々痩せているジージがさらに痩せた気がして、無理矢理にでも明るく話そうとするわたしに、元気そうに答えてくれるジージの、ふと足をみたら、ゾウの足みたいに浮腫んでいて思わず絶句した。こんな足見たことない。え、これ足?と、気もそぞろに他愛もない話をしていると、いつもとまったく変わらない調子で「まぁちゃん、足マッサージしてやろうか?いっぱいダンスして疲れてるだろ」と言った。



そうか、これが愛で、

これが、死だ。



わたしは、ううん今日は元気だから大丈夫、また来るね、と言って逃げるように部屋を後にした。迫り来る死の匂いが怖かった。ゾウの足は、あの時まさにマッサージを必要としていた。あんな足になっても、いつもどおりマッサージしてあげる、というジージもわたしも「これが最後かもしれない」と思っていたのに。


部屋を出たら涙が出た。なんだか良くわからないけどずいぶんと涙が出た。こわいのと、苦しいのと、やるせなさがごっちゃになっていた。人が、死に向かってどんどん変わっていくのをみるのは初めてだった。それからさらに訪れる頻度が減っていったが、訪れるたびに部屋には死の匂いが満ちていった。そしてジージはやっぱり死んでしまった。暑い夏の日で、報せを聞いた日、あのゾウの足を思い出した。わたしがゾウの足をマッサージしてあげることは、終ぞなかった。



お通夜の次の日、ジージの部屋を訪れた。主人を失った部屋には、まだジージの匂いが染み付いていた。おせんべいと、畳の匂い、病の匂い、死の匂い。部屋の壁には、わたしや母の写真がたくさん貼ってあって、color-codeの大きなポスターも貼ってあった。このポスターを見ながら、毎日、少しずつ力の出なくなる身体にジージは向き合っていたのかと思うと、虚しくてたまらなかった。あの時、いつも通りみたいにマッサージしてもらえばよかった、そしてそのお礼だといって、ジージの足をマッサージしてあげればよかった。


ジージは「まぁちゃんは美人だから、テレビに出れる。芸能人になってね、テレビで見てるよ」と良く言っていた。残念ながら、テレビに出てるのを見てもらえることはなかった。


でもわたしにはジージの足がある。自分の足を見るとジージのことを思い出せる。

このジージ似の足でしっかり地面を踏みしめて歩いていくのを、ジージはきっと見てるだろう。


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