見出し画像

争いとか平和とか

共通の話題で盛り上がって仲良くなれば全人類友達になって世界が平和になるのではないかという素朴な疑問がある。まぁ友達同士でも喧嘩するし無視するし絶交するしというのはあるが。

無関心、が関心に変わることによりその心が+にも−にも変わる。そしてそれは、時間軸空間軸主観客観多面世界により如何様にも変化する、と言える。では、世界は最初から平和なのではないか?

倫理の教科書で齧っただけだけど、それを平和とするか万人の万人による闘争とするか、自由経済における神の手的な?コミュニティによってそれとはまた別の世界感覚がうまれるのか.....分からんーとゆーのはある。大昔の人がそんなことはすでに考えに考えまくってる気もする。

バーチャルに適用して考えると、インターネットによって人との親密距離を近づけ世界を平和に〜みたいな考え方、でもそれって繋がらんで良いとこまで繋がってしまわん?要らないマイナス感情まで生産されてしまわん?例えばイスラム教のスンニ派とシーア派が相互フォローとかあんまり想像できないんだけど...

隣人愛、アガペーを核分裂反応的に連鎖させていくと考えるとバーチャルにはキリスト教が親和するのかなとか思う。でも、キリスト教にも派閥があるしもっと言えば元の旧約聖書って原典からも様々な派生宗教が産まれ歴史的に争ってきた。

人間の根本って自分の身の回りを見てもわかる通り"争い"なのかな。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?