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大神先生が見た熊本 ―ハコボタ巡礼 8(終)

⬇️前回、メインイベント。


懲りない我々

ずぶ濡れから復活!ワイナリー突撃

幸いにして、私と峰咲さんは割と似た者同士だった。食欲・酒量、そのペース配分、寝る時間帯、そして体力。2人旅をするにあたって、こういった要素は重要だ。まあとにかく二人ともそこそこよく食べるし、酒もそこそこ飲むし(飲む酒の種類は一部違う)、その間も喋りっぱなしだし、ほうっておけば「よるほ」など余裕で越える。
で、三俣山で4時間近く戦った直後だというのに、我々は長者原登山口にある激ぬる風呂から出ると、「今夜の部屋呑み酒を調達しよう」と、20km離れた「久住ワイナリー」に向かった
はっきり言ってアホだ。

久住ワイナリーは連山の南の裾、メインの観光エリアにある。晴れていればさぞ良い景色だったろう

峰咲さんが運転してくれていたので、私が試飲を担当。ナイアガラの辛口がなかなか良い感じだ。そしてポッキーが……。

👘「陛下だ」(琥珀)
⚖️「買いましょう!」

このへんを楽しんで深夜を過ごしたが疲労が凄くて半分残した

さてずぶ濡れの衣服をどうしたものか。
とてもじゃないがこんなものを良いお宿で干すことはできない。調べてみると宿のすぐ隣にコインランドリーがあるらしいので、買い物を済ませてとっとと撤収。横殴りの雨が断続的に降る中洗い物を持っていくと、そこは何故か「昭和の温泉街の小さなゲーセン」の様相であった。おまけに土禁で、ボロいスリッパが置いてある。

👘⚖️「大丈夫なのかこれ」

しかも不幸は重なるもので、乾燥機が死んでいた。まあでも手絞りを吊るすよりはマシだと洗濯機に放り込み、その間に部屋に戻ってあれこれ済ませ、洗い上がった洗濯物を引き取って干し、露天風呂へ。露天は部屋のすぐそばだ。

👘⚖️「ありがたい〜!生き返る〜〜〜!!」

そして待ちに待った夕飯だ。2泊でメニューは同じなのだが、場所が変わって奥の囲炉裏の間を占拠。大興奮である。

前日お願いした通り、いきなり焼肉&白飯でスタートしたうえに混ぜご飯もちゃっかり戴いた

このあと、家族風呂でダラダラと日常の愚痴を語り合ったり、幻覚話に花を咲かせて夜は更けていった。

阿蘇を抜けて肥後大津、熊本市街へ

楽しかった豊後国の旅もいよいよ最終日。
お世話になった筋湯温泉の宿を引き払った我々は、ワンチャンあればと最後に「九重〝夢〟大吊橋」に向かった。ちなみに私は高所恐怖症である。

ところが駐車場に着くまでに酷い大雨だわ、駐車場で雨雲レーダーを見ているうちに残念な事件が発生するわ、対応している間に悪天候で入場不可になり券売所が閉まるわで、結局2時間近くを無為に過ごした。

強風で入れず写真だけ撮った

こうなるともはや九重連山にいる意味はない。
最後の昼餐に阿蘇の名物「高菜飯&だご汁」を戴いて帰ることにした。
ところがカーナビに迂回路を指示される。どうやら一部の道が昨日来の豪雨と強風で死んだ模様。県道40号を南下して(こっちも倒木やらなんやらで危険は危険だった)、阿蘇くじゅう国立公園のエリアまで下り、熊本県に入ったところでお店発見!農家さん直営のレストランだった。

高菜飯とだご汁(小さめサイズ)は滋味溢れるおいしさ

往路に通った国道57号を目指して阿蘇山を突っ切る。

晴れていればなぁ………

阿蘇神社の横を抜けて宮地駅のあたりから国道に出た時、峰咲さんが「肥後大津駅に寄りましょうか!」と提案してくれた。
完全に頭から抜けていたが、大神先生は初日に一瞬だけ目撃した豊後竹田駅から特急に乗り、肥後大津駅から空港ライナーに乗り換えて熊本空港へ行くのだ。そうだ、どんな駅なのか見ておこうじゃないか!

横付けされているシルバーのハイエースが「空港ライナー」

遠目に撮影した肥後大津駅南口の拡大画像がこれ。
空港ライナーは地元のタクシー会社が運行している無料の乗り合いバンで、待っている人数によって応援車両が来たり、逆に一般車タクシーになったりするらしい。そういえば「恋―後篇―」執筆中に峰咲さんからそう聞いた気がする。

このまま熊本空港へ行けばいいのだが、我々は諸般事情から一旦市街地へ。
所用を済ませて再び肥後大津駅に車を向け、そこから空港ライナーと同じルートで熊本空港へ向かうも、まあ雨が凄い。ガチ土砂降りの中、田畑の横を突っ切って高遊原台地を上がる。

本当に田畑の横を突っ切っていく
トンネルを越えると空港近くに出る
時間は午後4時ごろ。先生が旅をした10/11ならだいぶ暗いはずだ。
先生と同じANAの羽田行き最終。定刻は19:05だが結局19:25発になった

ハコボタを読んでくださった方なら、もうおわかりであろう。そしてこの巡礼の旅1の最後に私が書いたことを思い出してほしい⬇️

👘⚖️「先生の恨みでも買ったかね???」

まさか、2月に書いた大神先生そっくりそのままの帰路になるとは……(絶句)

空港1Fのフリースペースで珈琲と「香梅」の限定お菓子片手にラストトーク

阿蘇で、久住で、熊本市街で散々土産を買ったうえ、濡れて重たいままのトレッキングシューズまで抱えて大惨事の私に峰咲さんは最後まで付き合ってくださった。宅急便を使えばよかったのだが、今日中に持って帰りたいものほど重量物や濡れものや割れ物で、そのへんのパッキングをする気力がもうなかった私は無理やり全てを持ち帰った。

結局、羽田に帰着したのは大神先生と全く同じ21時過ぎ。夫が車で迎えに来てくれていなかったら確実に死んでいた。持つべきものは「遊びの日に苦労するもんじゃない」と常々口にするフッ軽の家族である。
そしてそのあと性懲りも無く「ビリー・ザ・キッド」でステーキとハンバーグを食べた。

何日かぶりの洋食だが牛肉ばっかり食べてた。ジルの旅だから仕方ない

〝休暇〟を終えて。

帰宅翌日は「喋りすぎて腫れた喉」と「今更な筋肉痛」で無惨な半死体と化していた。
3日かけて復活を果たし、九重連山に行ったことがあるという直属の後輩に「九重連山、ほんとに行ってきたよ」と報告したら、「よかったですね。僕、いままで見た山の中で、あそこが一番綺麗な山だと思ってます」と言っていた。
天気は悲惨だったものの、本当に美しい山だった。野焼きで保たれているという青々とした緑と植生、雨ヶ池に着いた瞬間の異界めいた幻想的な風景は忘れないと思う。
こんなことがなかったら、たとえ熊本・大分に行くことはあっても、九重連山を見ることも、まして登ることもなかっただろう。
ありがとう、大神先生。ありがとう、峰咲さん。
そしてTLで私たちの珍道中を見守ってくれた村人と沼姫諸姉にも感謝を。

(終)

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