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知人の妊娠・出産を素直に喜べない。諦めたハズの子供への気持ちが顔を出す

出産報告の投稿を見て
おめでとう!と
手放しで声をかけることができなかった


今日も葛藤系の記事になることを許してほしい

なぜか葛藤がムクムクと活動し始めると
noteに書きたくなる衝動を抑えられなくなる

私はnoteの記事を書くことによって
自分の葛藤をなかったことにしたい?
のかもしれない


話を戻そう

先日、ある方の出産報告の投稿を見た
私はその方の投稿に
おめでとう
とコメントすることができなかった

よく知らない人にコメントできない
普通のことじゃない?
そう思われるだろう

私は手帳のオンラインコミュニティに入っているが
はじめましての方でも
グイグイ話しかけることができる
どちらかと言うと社交的な方だし
ポジティブな声かけが得意なのに…
おめでとうのコメントができなかった




ここからはただの卑屈を書き連ねるので
見て気分が悪いと思う方は
そっと閉じてほしい


自分なりに
なぜ
おめでとう
とコメントできなかったのか?
考えてみた


もう子供は無理だ
と諦めたし
無理なんだ
という事実を受け入れることはできた
と思っている

自分なりにできることを精一杯やった

今の生活はそれなりに楽しいし
夫とこのまま2人ですごしていく未来も
ぼんやりとだが見えてきた

友人が子供を連れてくれば
一緒に遊んで楽しめる

それなのになぜ?


子供を産むことは無理なんだ
を受け入れることと
自分には子供がいないという事実
を受け入れること
が別であることに気づいた



私は
「自分には子供がいない」
という事実を受け入れられていない

フタをしたがっている


これが
おめでとう
とコメントできなかった原因だったんだ


おめでとうも言えない自分残念だな
という気持ちと
そんなに簡単に受け入れられないよな
という気持ち
それぞれが入り乱れてぐちゃぐちゃなんだ


きっと
私の不妊治療は
「自分には子供がいない」
という事実を受け入れることができたところで
終わるんだろうな



今まで
「自分の努力ではどうにもならないこと」
に向き合うことが少なかったように思う


自分にはどうにもならないこと
乗り越えるために
みなさんはどうしていますか?

乗り越えると書いたけど
乗り越えるのではなく
共存する
なのかもしれない

しばらくは
消えては出て消えては出てを繰り返すだろう
この波が小さくなった時
自分にはどうにもならないこと
を乗り越えた
と言えるようになるのかな

そうあってほしいと願う…

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