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Late Night in Kolkata

Mario Takahashi
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隣のインド人家族は皆で英会話(カルカッタ、現在はコルカタ)1973年3月

 これも不思議だった。
カルカッタで泊まっていたアパート。
一週間、ただ寝るだけに借りていた汚いだけの四畳半。
一泊百円の安アパート。
隣に夫婦と姉妹二人の四人家族が住んでいた。
ベニヤ板一枚で隔てられた隣室。
声はもう、丸聞こえ。
出会ったことはないが、声だけはしっかり覚えた。
夜、部屋でボーッとしていると、声だけが時にはガンガン聞こえる。
カルカッタなので、当初はベンガル語だと思っていた。
ところがすべて英語なんだ。
「へエー、不思議だなあ、インドには英語で生活している家族がいるんだ」
とびっくりした。
まあ、いろいろな話しを聞いたら、ネール首相と娘インディラ首相の家族の
生活が英語だったと知る。
ネールはヒンズー語がまったく話せなくて、英語だったらしい。
インドでは英語しか話せない人たちがいるようだ。
インドを旅して、すぐに現地人に間違われた。
カルカッタでもインド人に間違えられた。
ドーティと呼ばれる腰巻きを巻いて、インド綿のシャツを着て、平気で街を
歩いていた。
インド人らしくふるまった。
たまには面白半分で、頭にターバンを巻いて歩いた。
そうしたらカルカッタの街で現地人に挨拶された。
「ナマステ」
じゃなかったが。
ナマステはヒンズー語の便利な言葉だ。
おはようからおやすみまで、すべて「ナマステ」。
好きな言葉だ。
かなり挨拶をされた。
カルカッタには多分チャイニーズ系統の人たちだと思うが、モンゴリアンも
多く住んでいる。
北方ツングースの末裔の顔立ちは、インドでは別に不思議じゃない。
ターバンと腰巻きを巻くと、シーク教徒に間違われて挨拶された。

「ひとりぼっちの地球街道」出版社:悠飛社

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