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【2021/9/19】親ガチャ

最近「親ガチャ」なる言葉が流行っているという。

『親ガチャ』とは、「子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せ」であることを抽選形式でカプセルトイなどを購入するガチャにたとえた言葉である。

下の東洋経済オンラインの記事にもなっているが、この言葉はどちらかと言うと深刻なものではなく、愚痴に近いものとして使われることがほとんどだと言う。

今日の『ワイドナショー』で松本人志さんが「大人たちが過剰に反応することでその面白さがなくなっていく」というようなことを言っていたがまさにその通りだと思った。

もちろん親の虐待や異常な過保護や、貧困などの環境に直面している若者がいるとして、それは”ハズレを引いた”と思ってしまうかもしれない。でも、それが必ずしも人生の失敗には繋がらないのではないかとも思う。

幸い、わたし自身は親ガチャにハズレたと思ったことはないし、だからと言ってめちゃくちゃいい境遇に生まれたとも思っていない。正直、普通だ。逆に普通であることがこの上なく嫌だと思ったことさえある。もっと波乱万丈の境遇に生まれていたら面白い人になれていたのかなとか、いい脚本が書けていたのかなとか、芸能界で貪欲に這い上がれたのかなとか、考えてしまう。

確かに親は選べない。生まれた瞬間からその人が親だとほとんどの場合決まっている(養子になるとか以外)。だけどそこから先の人生は、自分で回すガチャであって、そこに何が入っていようとも自分で処理していくしかない。

こうやって言えるのも、親ガチャでそれなりの景品を手に出来ているからなのか、それは自分でも分からない。分からないけれど、わたしは親にとっては「子ガチャ」の当たりを引いたのだろうかとも思えてくるのである。

そして、この「親ガチャ」と聞いて真っ先に浮かんだものがある。それは、この夏に読んだ『夏物語』である。その小説は恐ろしいほど生々しく、現実的で、まさに親ガチャ子ガチャを真っ正面から捉えた作品だと思う。

ご興味ある方は是非読んでほしい。

親ガチャだけじゃなくて、人生そのものがガチャみたいなものだとわたしは思う。


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