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nikki 2019/6/3 あの山へ。(名言を添えて)

山に登り始めてから、ずっと登りたかった山がある。

それはそんなに遠くない場所にあるんだけれど、何となくまだ行ってはいけないような、もうちょっと時期を見てからにした方が良さそうな、何だかそんな感情を起こさせる山だった。

その名は。

両神山

両方の神様と書いて、両神山。

山名は、イザナギ、イザナミの神を祀っていることから両神と呼ぶという説、日本武尊の東征のおりこの山を八日間見ながら通過していったので八日見山と名づけられた説、「龍神を祭る山」が転じて両神山となったという説など、諸説ある。(Wikipediaより)

山岳信仰の霊峰でもあるようで、鳥居、石像、石碑、神社など、私にとってはフォトスポット目白押しと言った山でもあった。とはいえ、その類の前に行くと「どうか山頂まで、ご安全によろしくお願いいたします」と深々と頭を下げてしまうから不思議なものだ。

登りは大変にキツかった。これはいつものことなのだけど、何してるんだろうなぁと思うのが、50歩に1回くらいの頻度で訪れる。特に急斜面になると、それはもう10歩に1回になる時もある。だけど、休んでは歩き、歩いては休み。そうやって登り続けていると、急に緩やかで歩きやすい道が現れたり、目の前にビックリするぐらい開けた景色が現れたり、と同時に、心が洗われたりって、なるものだから、登っちゃうんだよなぁ。

山さんって「アメとムチ」をよく分かってらっしゃるのよ。

あと頂上って、なんであんなに達成感を得られるんだろうね。それが例え500mの山でも、3000mの山でも、ちゃんとあるの、達成感。

人って生まれながらにテッペンに登りたい生き物なのかもね。

両神山は、登山用品店のスタッフさんに勧められて、ずっと登りたいと思っていた山。店員さんは「春か秋がおすすめです」と言っていたので、時期を窺っていた。窺い過ぎて、もう春も終わり、っていうかほぼ夏だけど、ようやく行くことができた。実際行ってみると、思ったより距離も短くて、登りやすい山だった。登る前は、遠山の金さんを前にした農民くらい「ははぁぁ~」って頭を下げていたんだけど、登ったら「あの、金さんじゃないか!」って感じで知り合いの山っぽく、受け入れてくれた気がする。

山は全ての登山者に、その扉を開いて待っていてくれるんだ。

まぁ、て言うより、登り慣れてきた?それから最近の筋トレが生かされているのか、膝も痛くならなかったし、やや筋肉痛を抱えて登ったにも関わらず、予定よりも1時間以上早く下山できた。そのお陰でバスまでかなり待たなきゃいけない羽目になって、あぁどうしようかなぁなんて思っていたら、

おねえさん、乗ってく?

と、山の途中で何度か会っていた優しそうなオジサマが声を掛けてくれて、ぴょいとお言葉に甘えることにした。オジサマは「僕も今までいろんな人に助けてもらったからね」と、過去にバスが無くなって見知らぬ登山者に乗せてもらった話をしてくれた。

山に登る人に、悪い人はいない。

いや、もちろん多少は警戒したよ?だけどね、こういうのって分かるよ。自然の中で一日過ごした後で、感覚?嗅覚?研ぎ澄まされてるからね。優しいオジサマのおかげで予定よりも1時間も早く駅に着いて、無理だと思っていた風呂にも入ることが出来た!ありがとうオジサマ!!

風呂で考えていた。オジサマは私のことを「キミ」って呼んで話していたけど、私は名前も知らぬオジサマに対して何と呼べば正解だったのだろう?「あなた」じゃ失礼だし、「おじさん」も、ねぇ・・・だから私は車中で主語のない会話をずっとやっていたんだ。

(あなたは)どこから来たんですか?
(おじさんの)オススメの山はありますか?
(おたくは)何のお仕事をされているんですか?

まぁふたりでの会話だから成り立つけど、何て呼ぶのが正解だったのかなぁって、名も知らぬオジサマのことをしばらく考えていたけど、ビールを飲んだら一瞬で忘れた。

主語なんてなくたって、会話できるんだよ。

そう、大事なのは、伝えようとする気持ち。今日はずっと神様が見守ってくれていたから、オジサマが車に乗せてくれたんだね。

思い出深い、両神山登山となったとさ。

※トップ画像は山頂付近にある両神神社の狛狼(阿)

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